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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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恵日寺⑨~伽藍遺跡の保存整備(北半部)

慧日寺の整備の中心は、本尊である薬師如来が安置されていた建物である金堂の復元であり、仏教的行事の行われた中門と金堂の間の石敷きの広場の復元であろう。
 しかし、遺跡の保存整備ということからは、北側の建物も含めた創建期である平安時代初め頃の伽藍全体が見通せることが大切だ。
 この部分の復元は、切石を用いて建物の礎石位置や壁位置の平面表示にしたようだ。
 メインの建物である金堂が視覚化とされたことと案内板の説明で、当時の状況が想像できるようになっている。
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 金堂の北側の講堂は、徳一の教学研鑽の遺志を反映するという意味では、中心伽藍ともいえる。規模も最大の建物跡とのことだ。

 案内板で、次のように説明されている。



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 講堂は古代寺院における七堂伽藍の一つで、経典を講義したり法を説いたりする建物です。発掘調査により、創建当初(9世紀初頃)の講堂は平面の規模が東西16.8m(桁行7間)、南北10.2m(梁間4間)であったことがわかりました。この建物は、母屋の前後に庇を付けた切妻造であったと考えられます。また、講堂廃絶後には、ほぼ同位置に3間堂が建てられたことも分かりました。


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ここでは、礎石や根石(礎石をささえる小石)のなかで、現在まで本来の位置で残ったものを根拠に、それぞれの建物の規模や柱位置を平面で復元的に表示しています。

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講堂の北側の食道は、案内板で次のように説明されている。


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食堂は古代寺院における七堂伽藍の一つで、僧衆が食事をする建物です。発掘調査により、講堂跡の北側で確認されたこの建物跡が、位置や平面形式から創建当初(9世紀初頃)の食道跡と推定されています。
平面規模は東西12.6m(桁行5間)、南北6.3m(梁間3間)で、庇が付かない母屋だけの切妻造であったと考えられます。


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ここでは、礎石や根石(礎石をささえる小石)のなかで、現在まで本来の位置で残ったものを根拠に、それぞれの建物の規模や柱位置を平面で復元的に表示しています。



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これらの東側、一段高い平坦面にも五間×四間の建物跡が残っていて、同じころの仏堂と考えられているとのことだ。


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実際に使っていたと思われる石段や井戸も、そこに残されている。


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食堂の北西部には、「木挿し桜」がある。800年前、慧日寺の宗徒頭の乗丹坊が挿した桜の杖が、この木になったという伝承を持つという。


 伽藍遺跡の保存整備の他に、先に整理した現存する建物に恵日寺のその後盛衰を物語らせることで、時空的な広がりの奥深さを感じることができるように整備されていた。
by shingen1948 | 2008-08-25 05:02 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)