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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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恵日寺⑧~復元された金堂

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 恵日寺は、長い歴史の中で、盛衰やいろいろの変遷をたどっている。今回復元されたのは、徳一によって創建された当時の伽藍がイメージできるとのことである。
 その中でも、中心的な建物である金堂が復元された。


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 ここには、本尊である薬師如来が安置されていたはずだ。

 私たちは、日常的に壮大な建築物の中に生活している。正直、実際に目にしただけで、当時の人々が感じる実感を思い描くことはできない。
 金堂復元に伴う困難を知ることで疑似的にその壮大さを感じるのがいいと思う。資料館で放映される復元のビデオを見て、金堂に導く案内の仕方がいい。
 磐梯町のホームページでも、「慧日寺金堂の復元」が大規模な工事であったことが分かる。この金堂の復元について20回に分けて忠実に報告して、その重さを伝えている。

 創建当時、この地にはその技術はなかったはずだし、今回復元されていないが、薬師如来を作り上げる技術もなかったはずだ。恐らく、徳一と一緒に、あるいは徳一を頼って、これらの技術者もやってきたということであろうと考えると、その壮大さは更に膨らむ。      


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 更に、金堂だけの復元でさえ、経費的にも大事業であるようだ。寺だけでも、講堂・食堂・仏堂もある。そこに、多くの人々が新たに住みつくという大きな変化も想像しながら眺める。


福島民友「慧日寺悠久の千二百年」の「甦る古代の金堂」に、再現した金堂については以下のように紹介されている。
 金堂は本尊を安置する寺院の中心建物で、慧日寺跡の場合は、発掘調査によって桁行き7間、梁間4間の規模であることが分かった。寸法は、桁行き総間が53尺(約15.9m)、梁間が30尺(約9m)。奈良・京都の大寺院に見る金堂と比較すると小規模ではあるが、いわゆる五間四面堂として格式を持たせ、中央間は丈六の薬師仏を安置するために広くしている。地盤は、質の異なる土を層状に積んで叩き締めて造成した版築の基壇である。この版築は、中枢伽藍の他の建物跡には見られない基礎地業であり、このことからも中心的な建物、すなわち金堂跡であることが裏付けられる。

 また、基壇北側の一部には建物跡に平行するように安山岩の立石が東西に並んで残っており、これによって、基壇外周には高さ1尺5寸ほどの外装石が東西19.5m、南北12.6m規模で回っていたことも判明した。さらに、版築土の下には金堂建立に際しての整地土が広がっており、そこからは九世紀前半代の土器が出土している。



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  現在、中門も復元工事中であり、その完成の予想図は、磐梯町のホームページ「慧日寺中門の復元」にある。
by shingen1948 | 2008-08-24 09:21 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)