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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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恵日寺②~磐梯神社

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 昨年、何気なく訪れた磐梯神社が、新しくなったことは気になっていたが、その理由と結びついていなかった。
 この磐梯神社は、慧日寺の金堂再建とかかわっていることが、福島民報の2008/03/09 「(13)史跡の上に神社鎮座 移転に協力、発掘進む特集」でわかった。
 移転したのは2000年12月とのことだ。

 磐梯神社が創建されたのは、明治維新の廃仏棄釈によるということで、この地は神社にされたということと、慧日寺を廃寺にするということとは表裏の関係だ。慧日寺衰退の原点でもあるということだ。
 しかも、この神社が建っていた場所こそ、金堂跡であり、復元を目指す金堂跡を調べるには、移転が必要だったということのようだ。

 そうはいっても、既に80年近い歴史が積み重なっている。「舟引き祭り」や「巫女(みこ)舞い」といった慧日寺時代から続く伝統行事も継承していて、文化財にも指定されているのだから、氏子の協力なくしては簡単に移転はかなわなかったはずだ。

 別な見方をすれば、慧日寺が、慧日寺であったという当たり前のことが通用するのに、これだけの歳月とエネルギーが必要だったともいえる。
 明治維新の廃仏棄釈が、恵日寺の仏教文化を崩壊させたものであり、またその壁はいかに厚かったかということだ。

 仏教文化を復元したいという粘り強い思いの実現の証として、また、明治維新の矛盾への抵抗の証としてこの神社を「恵日寺」の一項目として整理しておきたい。
by shingen1948 | 2008-08-17 15:13 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)