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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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遠藤が滝 ②

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遠藤が滝の紹介の中で、遠藤ケ滝とともによく目にするのが、「三日月滝」だ。
これは、奥の院という案内板が建っている所から橋を渡ったところiにある。


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 扇形に広がった優美な滝だ。写真の技術を駆使すると色々表現できるようなのだが、肉眼のままで充分に感動的だ。


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 不謹慎ながら、この優美な滝を上から捉えてみる。


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 手前にある岩から、わずかに水が滝のようになっているのだが、それも捉えておくことにする。


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遠藤が滝と三日月の滝の間に、文覚上人がかつてこの石室にこもり、日夜滝に打たれる修行を続けたと伝えられる石室がある。


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 岩の内部は、部屋のようになっていて、奥に不動明王石像が安置されている。


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ここに建築物があったのか、手すりをつけたものなのかは分からないが、石室の前に、人工的に柱穴をあけた石がある。気になったのでとりあえず写しておく。


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 ついでに、奥の院の案内板も。
 相応寺は、昔前ケ岳にあり、それから亀山に移り、そして、現在地になったという話を聞くが、ここの案内板には、別当寺「相応寺」とあり、今もかかわっていることがわかる。


大玉村のホームページには、次のような「遠藤盛遠伝説」紹介されている。
 「相生集」のこの地での描写に加え、盛遠の過去と年代を特定できる話とした伝説に仕上げている。
 
はるか昔、承安(1170年代前半)頃の物語。
 遠藤時遠の息子に盛遠という若武者がおった。盛遠には源渡(みなもとのわたる)という親友がおり、源渡の妻は袈裟御前(けさごぜん)と呼ばれた絶世の美女であった。盛遠は渡の家を度々訪れるうちに袈裟御前をいとおしく思うようになった。ついにその想いを袈裟御前に打ち明けるが、袈裟御前は我が夫を思い、一人悩む。そして、袈裟御前は自分さえいなければという考えに陥っていき、一方の盛遠は渡さえいなければと思うようになっていった。
 ある時、袈裟御前は訪ねてきた盛遠に「夫は今夜酒に酔って高殿で寝ている。」と語りかけた。それを聞いた盛遠は自分の想いが通じたと思い込み、夜陰に紛れて寝所に忍び込み一刀の下に首を斬り落とした。ところが、よくみるとその首は夫の身代わりとなって寝ていた袈裟御前のものであった。悲しみのあまり盛遠は俗世を捨て仏門に入り、修行の道に救いを求めた。
 名を文覚と改め熊権現に誓い、那智滝で千日間の荒行を修め、山伏となって全国の霊地を巡歴した。盛遠はやがて陸奥にやってきて、杉田川を渡ろうとした時川面にカーン・マーンの梵字が浮かんだのを見て、上流に不動明王のおわす事を悟り深く渓谷に分け入りついにこの滝を見つけ、傍らの石室に篭(こも)りながら荒行を修めたところである。以来この滝は遠藤ヶ滝と呼ばれるようになった。

by shingen1948 | 2008-08-14 05:44 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)