人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

二本松城址⑦~出城

案内地図には、城内の出城が紹介されているが、この城を取り囲む出城もあるようだ。
目にしたのは、猪子舘・箕輪舘・栗ケ柵というポイントだが、それを説明する資料が得られない。

ただ、資料の中の表現をいくつかつないでみると、ぼんやりと想像できるものもある。栗ケ柵については、いろいろな表現がある。栗ケ作というのもある。位置的には法輪寺あたりではないかと想像できる。
「一帯は非常に堅固な地形のため、容易に攻め入ることができなかったといわれている。……。畠山義継の家臣であった遊佐内蔵介は、この地に館を構えて「栗ヶ柵館」と称した。」等の表現をメモしている。ここから漠然と見えるものはある。
a0087378_69237.jpg
箕輪舘は、土井晩翠碑あたりの吾妻屋あたりから、左側の遊歩道に入った南側の高台のどこかという感じがするが、確かではない。
ここは、フィールドワーク地図をなぞらせていただいている半沢氏が、畠山氏時代の大手ではないかと想像していた所だ。ただ、ここが大手としてイメージしやすいのは、新城舘を中心と考えたときだ。西の舘だった時代のほうが、イメージしやすいとも思う。もっとも、この館は、伊達氏との戦いでも中心であったらしいので、畠山時代の後半にはそうであってもいいとも思う。

猪子舘については、まったく手がかりを持ち合わせていない。

今回の散策で、この城がこの出城と出丸で組織的に防衛する機能が少し見えた。このことで、先の散策でしっくりとこなかった街中の標識でみつけた伊達正宗の本陣の位置に合点がいった。
by shingen1948 | 2008-08-10 06:21 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)