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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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二本松城址⑥~松森舘へ

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二本松城址の案内地図にある館で、まだ確認していなかったのは松森舘だ。
蒲生領時代に、城を二分して二人の城代が任命された。この時の城代が置かれたのは、新城舘は確かだったが、東の城代は、乙森か松森舘としたが、鉄砲谷の標識で松森舘であったことが分かった。


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その鉄砲谷だが、東の舘である松森館には追手門がなかったため南側に移築して、鉄砲谷と名付けたとのことだ。出陣時に用いる鉄砲などを、この門に具備したためと思われるとの説明だ。


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この館を地図で位置を確かめると、乙森から遊歩道を降りて、駐車場を越したところから、下に下る道があって、その道を行って行き止まりになったところで間違いないとは思う。


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 ただ、この平場は、資材置き場になっていて、整備が進んでいないので本当にここでいいのかという自信はない。


 ここから本城へは、一つは遊歩道を乙森方面に向かい、駐車スペースになっている曲輪を通って、乙森経由本城というコースが考えられる。


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 もう一つは、その遊歩道を横切り、戊申戦争で家老が自害したという平場に出て、そこからは、現在案内されているコースに従って行くことが考えられる。この平場からは、まっすぐ進んで西の舘である新城舘へも直ぐである。
この平場は、新城舘や松森舘の一段低い位置である。この高さが、戊申戦争時の城を守備する時の指揮官の位置と考えると、感覚的には平城の感覚での戦いだったとも思う。


案内地図にあった出城を散策したが、この他にこの城を中心とした守備に大切な出城としてのポイントに、猪子舘・箕輪舘・栗ケ柵があるらしい。地図にあったのは出城というより出丸の舘という感じだったが、これらは、城を守る出城としての機能を備えているということらしい。
by shingen1948 | 2008-08-09 05:40 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)