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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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八田野一里塚

今回は、猪苗代町あたりから土田あたりまでの二本松街道の表街道についてのイメージが持てた程度だが、案内板が見えたので、下街道の八田野一里塚にも立ち寄ってみた。
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案内板の説明では、「旧二本松街道は姿を消し……」「~だけが昔の面影を残すだけとなった」と否定的に表現しているが、この塚で昔の面影をイメージするのに十分な雰囲気を持っていると思う。

 右側の南塚は、案内板の説明によれば高さ3.6m周囲35mとのことだが、測ったわけではないが、御上覧場一里塚より大きいような気がする。


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北側の塚との間を旧二本松下街道が通っていたのでろう。


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少し先まで進んでみるが、今回はポイントとしておさえておくことにする。


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北側から両方の塚をとらえてみる。


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ここから街道に抜ける途中、しぎが飛んできた。


八田野一里塚
江戸時代初期幕府は主要な街道に江戸日本橋を起点として一里毎に道の両側に塚を築いたが諸藩もこれにならい各々領内の主な街道に居城地を起点に一里塚を築いた。
会津藩は寛文7年(1667)四月に若松札の辻(大町四つ角)を起点として一里塚を築くことを決めこの塚は3年後の寛文10年(1670)に八日間を費やし延べ570人の代田組配下の農民の人側によって築かれた。
この場所は旧二本松街道(下街道)の両側に位置し南塚は高さ3.6m周囲35m北塚は高さ
2.4m周囲38mである。昭和44年9月市の指定となったが昭和61年の圃場整備で旧二本松街道は姿を消し一里塚だけが昔の面影を残すだけとなった。
平成2年6月
会津若松市教育委員会

by shingen1948 | 2008-07-24 03:40 | Comments(0)