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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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御上覧場一里塚

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 赤松並木の旧二本松街道の街道があり、その街道は南に延びていたのだが、その先にこの一里塚はある。一里塚から街道跡を振り返ると、古の時代に戻ったような感覚になる。


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  一里塚があったというところには何度か行っているが、現物が目の前に現れたのは初めてだ。迫力に圧倒される。特に右側の塚は原型に近いのではないかと思う。


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 もう一つの塚との間を旧二本松街道は走っていたということだ。案内板の説明によると、この一里塚は、若松からは4番目の塚とのことだ。


 町指定史跡
 御上覧場一里塚
 昭和54年3月31日指定
 一里塚の誕生は、豊臣秀吉が朝鮮役中に山陽道備中河辺から北九州肥前名護屋の間に一里ごとに設けたのが始まりで、一般には慶長9年(1604)徳川家康が秀忠に命じて江戸日本橋を起点に東海・東山・北陸の三街道をせいびさせたものである。
 会津における一里塚は、寛文7年(1667)から造られるようになり、塚の上に榎を植えたので榎壇というところもある。
 この一里塚は若松から行程5里(4番目)二本松街道沿いで、不動集落の上部に位置する。付近には往時、街道並木に植えられた赤松の木が残っており、昔日の交通の様子を知る上で貴重な存在である。
 猪苗代町教育委員会
 (平成6年11月設置)

Commented by at 2008-07-25 17:44 x
歴史の教科書では読んだ事がありますが、実際に現存しているものを見聞きするのは私も初めてかも?? 道路改修で便利な新道が出来るのは仕方がないにしても、どうして簡単に歴史ある建物や道をつぶしてしまうのだろうと時々、ナショナルトラストで守られているとは言え「ピーターラビット」の絵本世界の世紀を超えて変わらぬ風景に思い馳せるにつけ、日欧の価値観の違いに失望を隠し得ません、、、--;)磐越道がらみか、川桁の集落を通る立派な道が出来ていますが、あの周辺の道幅は狭いながら歴史と趣の在る昔ながらの道も存続させて欲しいものだと痛切に思います・・・余所者の単なる感傷でしょうか、、、??
Commented by shingen1948 at 2008-07-26 17:41
日本の場合は、行政の姿勢に左右されますね。地域に愛着を持っている小さな行政区の場合は、保存管理が可能ですが、大きくなって愛着が薄れたり、経済効率が優先されたりすると、消え去る運命にあるのでしょうね。

今回古道の雰囲気を堪能できた場所は、明治25年新県道が開通したことによって切り取られ、利用価値のない不便な所ということで残ったようです。
そこを、地元に愛着を持っている方がその価値を再発見し、行政に働きかけたのだと思います。
by shingen1948 | 2008-07-23 04:47 | Comments(2)