地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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猪苗代盛胤の五輪塔

  「磐梯青年の家」の駐車場脇には、最後の猪苗代城代14代猪苗代盛胤の五輪塔がある。 

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 駐車場への本道からは、松林の中にいくつかの五輪塔が見え、この五輪塔はその奥に見える。


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 本道からよく見えるのだが、少し手前で本道から脇道に入ると古道らしき雰囲気の道に出てみる。

 この位置にあるのは、よく確かめてはいないが、恐らく二本松街道の古道がこのあたりを通っていたのであろうと推測するからだ。


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 堰を渡ってまっすぐ進むと五輪塔にいたるが、案内の標識は、左に折れると土沢神社となっている。


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 案内板が立っていて、事情は説明されているのだが、摺上合戦時の事情を知っていることを前提にしている。その事情を概括しておく。

 猪苗代氏は、蘆名氏の祖葦名光盛の兄経連が猪苗代に土着して猪苗代氏を称したといわれている。独立傾向が強く、蘆名氏は、本家だが室町時代から戦国時代まで、たびたび合戦をしているようだ。
 10代経元の代で後継ぎがなく、蘆名氏から盛清を養子として迎えている。しかし、摺上合戦の際には、その盛清の子の猪苗代盛国は伊達政宗に通じ、蘆名氏の衰退を見てついに政宗に寝返っている。
 しかも、猪苗代盛胤に渡した家督を渡して隠居したのに、それを奪い取っての寝返りである。
その子猪苗代盛胤は、父と敵対し蘆名氏の味方をしたとされる。猪苗代氏は、伊達政宗の小田原参陣の後の一部領地替えで、猪苗代の領地も替えられるが、その後も伊達家に仕えたという。
 町指定重要文化財(建造物)
 五輪塔
 (昭和44年9月1日指定)
 この五輪塔は猪苗代城代の最後の城主14代猪苗代盛胤の遺徳を偲び、百目貫村の臼井平右衛門が願主となって地方の人々に呼びかけて明歴4年(1658)7月に建立したものである。  父盛国が伊達に内応しようとしたとき盛胤は度々父を諌めたが、遂に罪をきせられ追い出された。磨上原の戦いにも父の旗印を見て、盛胤は父に抗することはできぬと単独退き、芦名没落後は蒲生にも仕えず寛永18年(1641)77歳で内野に没した。
 猪苗代町教育委員会
 (平成4年11月1日設置)

by shingen1948 | 2008-07-21 05:43 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)