地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥谷野渡し跡

 川俣街道は、立子山の疣石峠から、いこいの松を経由して、鳥谷野の渡しに至ることである。絵馬平小倉寺を経由して、この鳥谷野にいたる街道は、鳥谷野渡し跡の案内の石碑に刻まれた説明によると、佐藤氏の時代からの道と想像できる。a0087378_512414.jpg
 鳥谷野渡しは、奥州街道から見れば、川俣街道の追分であり、 佐原への道としても重要な地点ということだ。


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 案内板の説明によると、政宗の父 稙宗の遺骸を守る軍勢が鳥谷野渡しを渡っているとのことだ。その遺骸を火葬にするのは、「慈徳寺へ立ち寄る」として整理したところだが、慈徳寺である。そうならば、遺骸を守る守る軍勢は川俣街道を通ってきたということになる。そして、ここから佐原村を目指していったということだ。
 言うまでもなく、立子山の一揆指導者が、佐原の指導者と打ち合わせに使った道も、この街道である。



 鳥谷野渡し
 この道は旧川俣街道より阿武隈川を渡り、大森街道となる地域の生活の道であった。今から803年前の文治2年佐藤庄司の郎党渡利猪太というものが馬と共に渡ったと伝えられている。 其の後、今から447年前の天文11年より天文17年までの伊達天文の乱には伊達稙宗の軍勢が幾度となく渡河したとも伝えられ、又今から404年前の天正13年伊達政宗の軍勢が東安達に出陣し粟の須で戦死した政宗の父 稙宗の遺骸を守る軍勢が天正13年10月この船場を渡河したとも伝えられる。其の後戦勝して天正13年10月この船場を渡河し観音様に参詣して渡河したという。私達隣接地権者はかかる歴史のあるこの船場の道を後世に伝える為に之碑を建る。
 平成元年11月吉日
 1989年
  建立者 佐藤伊佐治・丹治 正・伊藤 富夫・佐藤 長司
  鳥谷野町会長 羽田仲男 書
  福島市文化財保護指導員 羽田稔 記
  施行 有 鈴木石材店

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なお、半沢氏によれば、ここは昭和10年代まで舟橋であったという。
Commented by TUKA at 2010-04-16 22:38 x
こちらの記事を参考に川俣街道を巡ってきました。
憩いの松と思しき場所を見つけましたが、大きな切り株と石碑群があるだけで案内板もなく、寂しい限り。
松喰い虫にやられて伐採され、文化財指定を解除されるとこんなものなのでしょうか。
疣石峠はキツかった~(笑)
北側への下りもなんとか行けそうな気がします。
「フィールドノート」記載の道標2つも無事発見できてまずまずの成果でした。
Commented by shingen1948 at 2010-04-18 13:59
 成果大きかったようですね。

 今頃の散策は、見通しがきいて全体が見渡せるのでいいですよね。

 疣石峠の下りは行けそうという判断ですか。 私は、小心者「石橋をたたいても渡らないタイプ」なので、無理かなと思ってしまいました。
 
by shingen1948 | 2008-07-18 05:27 | Comments(2)