義民④
2008年 07月 14日
享保の改革は、江戸時代の三大改革の一つで、江戸幕府8代将軍徳川吉宗が,享保年間に行った江戸幕府の政治改革。
武芸や倹約を奨励し,先例にとらわれずに有能な人材を用い、人々の意見をきくために目安箱をおくなどした。公正な裁判を行うために成文法典をつくったり、財政をたてなおすために倹約と増税による財政再建を図った。農政の安定政策として、新田を開発すると共に、年貢を強化して五公五民に引き上げ、豊凶に関わらず一定の額を徴収する定免法を採用したりした。
全国的には、産業をすすめ、倹約をさせた。農民は上からの命令もあって、堰をつくり、田を開いた。
佐原を含め、福島の西在では、荒川の氾濫で、あちこちに大石が点在し、吾妻山の噴火で、小石や灰を浴びている土地である。それでも、農民は堰をつくり、田を開いてきたのは、上からの方針でもあったということだ。
太郎右衛門が、箱訴した目安箱も、この時代に人々の意見を聞こうと設けられたものである。
ただ、どこか違っていたのは、これらの目的はあくまでも藩の財政立て直しであり、大名や武士たちの財政立て直しであるということだ。そのための農民は、年貢を少しでも余計に納めさせるべき存在でしかなかったということだ。
大岡越前は、テレビドラマでは、改革のプラスの側面にスポットライトを浴びる。
江戸の都市政策は江戸町奉行の大岡忠相が主導し、町奉行所や町役人の機構改革を行う。米価や物価の安定政策、貨幣政策とともに、下層民対策では、貧病民救済を目的とした小石川養生所を設置する。私娼や賭事、心中など風俗取締りなど、テレビドラマでは、理想の改革として描かれる。
佐原の人も、立子山の人も、同じように享保の改革を学習し、大岡越前のテレビドラマに拍手を送る。一方で、この改革の裏面史である福島の農民が抗議した一揆と義民の話を受け継いでいる。義民の跡をたどっていく中で、遠い昔のことなのに、今でも残る地元の方の熱い思いを感じる。
事を荒立てずに、一つの事を重層的に捕えているということが、この地区の人々の心を豊かにしているということなのだろうと思う。
古墳、城等々。
勝者であったり敗者だったりはしますが……。
散歩のときには、その裏の被支配者の存在を想像することが大切なのでしょうね。
わかりずらいと思いますが、……。
山に入ってほっとする感じで例えると、感じているのは視覚だけでなく、時間的にも超越しているような、そんな感じの中でということでしょうか。
特に、その時点での感覚だけでなく、この時の感性が救いになる時があるというようなところが、感じますね。