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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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瀬戸川館を訪ねる①

人取り橋の合戦に関わって、左翼遊軍として伊達成実を配したという瀬戸川館が気になった。
 位置的を確認するのに、「桝形」という地名と「福島県の歴史散歩」の中で、本宮宿周辺の史跡の地図にプロットされている所ということを頼りに探してみることにした。

 プロットされた位置は、本宮の観音堂で合わさる奥州街道と会津街道に挟まれている。この城は、「山形・宮城・福島の城郭」によれば、「往昔は、会津街道がこの丘陵から本宮に入ったとされている……」とのことで、「本宮城の出城として会津街道の要衝の守りのため、築城されたといわれている。」とのことであることから、信頼できると思っている。

プロットされた位置の北側に、奥州街道と会津街道を結ぶ太い道路があるので、ここから入ってみるのが分かりやすいと判断した。
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  この道から南に向かう細い道路に入る。


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 この北側の高台に桝形地区の公民館があった。


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 そのまま進むと、左側から細いながらも主要道路がT字に交わる。
 そのやや南側で、民家が建っているあたりが、地図でプロットされた所であり、高低差を考慮しても、ここが館だろうと推定してみて、南側からそちらを眺める。


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 西の方には、土塁らしいところに道が走っている。


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 改めて北側から眺めてみた。こんもりしたところが、「山形・宮城・福島の城郭」の要図にあった「物見」のあった所であろうと想像する。

 この位置なら、仙道の道が東に望まれ、最前線基地高倉城が見え、本陣を置いた日輪寺にも近く、本宮城も望まれるという要としての位置であったろうとは思うが、不確かではある。
by shingen1948 | 2008-06-24 04:46 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)