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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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高倉城へ

 天正13年(1585)伊達氏の輝宗報復と位置付けた二本松攻略戦で、高倉から本宮周辺で合戦となるのだが、機会あるごとにその事と関わる所を歩いている。
 今回は、高倉城をめざしてみた。この城はその攻防戦で伊達氏の最前線に位置する。

 この城は、高倉宿の東側にそびえる高倉山の山頂にその主郭がある。この城主は元々は畠山氏方の支城だったのだが、この時には城主である高倉近江は伊達氏の支配下にあったようだ。
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 この山の上り口は、山裾に広がる山清寺の墓地の高台を登りきったところにある。
街道からは、山清寺の山門の脇道を通り、寺の前の急な坂道を登る。


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 途中、石仏観音など、霊場らしい雰囲気の中墓地へ向かう。


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 無縁仏の供養塔があって、そこを登りつめたあたりが、広場になっている。


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 その右手に城郭に向かう上り口がある。


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 恐らくこの寺や墓地の辺りも城の機能を担っていたのだろうと想像する。


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 登る時、平場を想像する。確かに平場が3から4段重なっているイメージはあるのだが、その広さがないといったところだ。
 ただ、山頂は充分な広さの平場になっている。


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 主郭は、しっかりと土塁で囲まれていて、特に南西側は高さも堅牢さもある。
この土塁が切れた北側が、この主郭への入り口であろうが、下からはなかなか見つけ難い。


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 入り口が見つからないので、今回も登れそうだと判断した曲屋らしいところから無理やり登って、それから入り口を探した。分かり難い理由は、しっかりとした土塁のせいだと納得する。
Commented at 2008-06-16 17:44 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by shingen1948 at 2008-06-17 05:03
グーグルの地図で検索すると、山清寺の脇道を登りきったところの高台と読み取れます。北側の稲荷神社からも登ってみましたが、こちらは、藪でした。多分間違いないだろうと思っていますが…。
Commented at 2008-06-17 18:06 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by shingen1948 | 2008-06-16 04:15 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(3)