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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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阿津賀志山⑤

石那坂の戦いについて確かめていて、朝日舘の地点を地図から字名でみたが、そのあたり一帯が朝日舘なら、その舘は愛宕様かもしれないとも思っている。
 
  その石那坂の戦いで敗死した泰衡の郎従佐藤基治等一族18名の首級がさらされたという阿津賀志山に来て見た。
阿津賀志山の山頂という言い方をしているが、それは、奥州街道の国見峠の経が岡というところではないかといわれているらしい。東山道の道筋にさらされたとうのは自然なような気がする。
 もっとも、「福島の伊達氏」(津島亮資著)によれば、同じ「吾妻鏡」の同年10月2日の項には「囚人佐藤庄司らが厚免され、本所に帰された」という記載があるともいうのだが……。

  この経が岡という地点は、国見峠に向かう奥州街道長坂跡の奥にあった。
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 長坂は、古来より奥州街道における要衝の地にあり、急な坂道であるとして有名な国見峠の難所だったという。その雰囲気を今に残している。


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  少し奥に進んだ所に、芭蕉が「奥の細道」に記した「気力聊かとり直し、路縦横に踏んで伊達の大木戸をこす」という碑が建っている。


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 そして、その奥が経が岡だ。


 文治5年(1189)の奥州合戦で源頼朝と藤原泰衡の率いる両軍が激戦を交えた古戦場は、この峠周辺一帯であるということでもある。
by shingen1948 | 2008-06-12 05:28 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)