石那坂の戦い②を想像する
2008年 06月 11日
どんな推定があるのかを確かめてみる。
「福島県史」には、「奥州藤原氏の支配」という項があり、その4節が、「石那坂の合戦」になっている。ここでは、概要を以下のように捉えているようだ。
文治5年(1189)8月7日、頼朝は本営を国見駅におき、合戦は翌8月8日からはじまった。8日の戦いは前線の接触で、いわば小手調べであったろう。決戦は10日であったろう。
「吾妻鏡」によると、この時の戦いは、阿津賀志山と石那坂の両所で行われたように記載されているという。
石那坂の位置に関わる記載を確かめてみる。
石那坂は、石の多い坂という意、(中略)福島市平田であろうといわれている。(中略)信達盆地の南端に当たる。古代の駅跡は「湯日」から「岑越」にいたるには松川町から東北本線に沿う山間を通ったものとみられるから、石那坂古戦場はこの付近と考えてよかろう。
そして、石那坂古戦場の有力候補地としては、以下のように推理する記述がある。
鉄路の西平石小学校の背後の山頂に山城がある。朝日舘といって、標高173㍍の山で、何者が何時の時代に造ったのか不明であるが、このあたりが古代駅路に面し、石那坂古戦場としての伝承を伴っており、一応この地点と考えるしかない。

その位置を地図で確かめると、朝日舘という地名がある。そこに行ってみる。
確かに、やや道筋からへこんでいて、東北本線沿いに敵が入ってくれば、山陰になっていて見えにくい。奇襲効果が高そうな位置である。
この西手の山は、先日訪ねた陽林寺側になる。

朝日舘からの眺めを確かめるのに、薬師堂から信達盆地の南端方向を眺めると、戦列の横から効果的に攻めることができる位置になることが分かる。

余計な話だが、薬師堂には何故かお地蔵様。
県史では、「吾妻鏡」の記載のうち、明らかに誤記と思われる部分を取り除いて、石那坂合戦の状況を以下のように解説している。
ここで戦いが繰り広げられたと想像を膨らませる。
石那坂の守将は、信夫庄司佐藤元治で、継信・忠信の父である。佐藤庄司は叔父に当たる川辺太郎高経・伊賀良目七郎高重らに信夫の兵をもって石那坂の上に陣を構えていた。 頼朝方は、後に伊達氏の始祖となった常陸入道念西で、子の常陸冠者為宗・二郎為重・三郎資綱・四郎為家の父子が甲冑に身を固めて秋風茂る中を潜行して伊達郡沢原に出て佐藤庄司らが守る背後から矢石を浴びせ、死闘がくり返され、為宗・為重・資綱・為家らは傷を負ったが、長男為宗は抜群の功をたてて信夫の兵を倒し、佐藤庄司以下主なるものの18人の首をとり、阿津賀志山の山頂経岡にさらした。
伊達郡沢原の地は不明で、あるいは信夫の佐原(今福島市)であろうかともいわれる。
この地点が、佐藤氏が奇襲を受けたのだとすれば、佐原は行き過ぎのような気もする。水原の地点ぐらいから、裏側にまわり奇襲をかけたなら、先に訪ねた陽林寺の金比羅様や愛宕様の辺りということにもなりそうだと思う。ただ、土地に不案内であったり、大胆な動きをすることを考えれば可能性はありそうだなと、散歩をしながら勝手に想像する。

朝日舘についてですが、福島県史の著者は、文脈から、石那坂合戦があったのは、平石の朝日舘というところと言いたかったようです。
御指摘の場所も確かに朝日舘で、信夫庄司小太郎が居住し、彼は、石那坂の戦いで討死したとされています。
しかし、石那坂合戦それ自体は、佐藤氏が福島盆地に入らせない防御線を福島大学まえの道路に沿うようなラインを引いたのだと思うのです。 そのラインを正面から超えたのではなく、奇襲のようについたのだと思えます。
したがって、その位置は、この防御ラインの内側付近ということになるのだと思います。
ただ、今、もう一度福島県史を確かめているのですが、平石小学校の向かえの山あたりに思えてきているところです。
近いうちに確認したいなと思っています。

大伴家持の時代と南北朝動乱の資料に見られ、東鏡に見られません。従って厚樫山防塁は近世の創作文が付加された物と考えられます。地理的にも不自然さがあります。
平石の朝日館が正に頼朝軍初戦の地と考えられます。
この背後の地に伊達稙宗が陸奥守護職に補任された時に位作山陽林寺を開基しています。
初戦地の背後の地であります。
現在は山王道と称される古道があり、道標、庚申塔などが道端に在ります。
ここで活躍したとされる長井別当齋藤の外甥の子孫と思われる齋藤家が多い。斉藤家は鳥渡の二階堂地頭家と古くから姻戚関係が有ったようです。二階堂氏はやはりこの地で活躍した工藤氏と考えられます。
石那坂防御ラインは、他に福大南側、福大北東側の説を見かけ、そちらにも出かけてみました。散歩人には、真偽の程は分かりませんが、この盆地への入り口辺りが、頼朝軍初戦の地であったのだろうという大きな見え方はしました。
前半の阿津賀志山防塁の見え方については、単に地域散策を楽しんでいる者には分かりませんね。