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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安積山公園

地元紙「福島民報」は、22日に、「安積山の歌」が書かれた木簡が発見されていらい、連日のように本県との関連にかかわる記事を載せている。
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 安積山には最近立ち寄った。

24日の「福島民報」の日曜論壇は、「郡山「安積山の歌」に沸く」と題して、滋賀県甲賀市の紫香楽宮跡で、郡山市にまつわるとされる「安積山の歌」の書かれた木簡がみつかったことを、歴史的発見のニュースだとした。
 郡山文化協会など関係団体は、「歴史的な伝説を裏付けるものだ」として、歌の舞台である「安積」を全国にアピールするための準備を始めたことを伝えた。
そして、「安積山の歌」の木簡発見は「歴史のまち」郡山を市民があらためて知り、全国に発信する絶好の機会として官民挙げて多様な取り組みを進めたいとしている。


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奥州街道は、日和田をでてほどなく右手に見える歌枕の地、安積山になる。日和田から高倉にむかう街道は、松並木が時々昔の面影を忍ばせる。


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  安積山は、現在公園として整備されていて、北側の駐車場の端に「山ノ井の清水」がある。

「須賀川の等窮宅を出て五里ばかり、日和田の宿を離れた街道近くにあさか山がある。このあたり沼が多い」と、芭蕉が記す。
芭蕉の旅は歌枕を辿る旅なので、その歌枕にかかわることが分からないと、この公園の散策は楽しくない。

  安積山は、万葉の古代から歌に詠われた代表的な歌枕の一つで、そのもとになる話が、春姫にまつわる采女物語だ。郡山では、これをもとに「うねめ祭り」を創設している。郡山商工会議所のホームページには、その物語の概要がある

その中で、この井戸とかかわるのは、次の歌と伝説の部分だ。
安積山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を我が思わなくに

 どうしてご機嫌が悪いのですか。安積山のふもとに山の井の清水があります。
 安積山の影を水面に映し、浅い井戸のように思われますが、どうして、どうして、とても深い清水です。
 それと同じで私たちが王をお慕いしている気持ちはとても深いものです。どうかご機嫌を直して下さい。
「安積釆女とその時代」より(今泉正顕氏著)

 葛城王は大いに喜び、三年間の年貢を免除し、春姫を「安積うねめ」として帝のもとへ連れて行くことになる。
 しかし、春姫には次郎という約束をちかった許婚者がいて、王と春姫の一行が音無川に来たとき、次郎と姫はこっそり最後の愛をささやいたとか。
 春姫は、都で帝の寵愛を受けるだが、次郎のことが忘れることが出来ずに、猿沢の池で月見の宴が開かれていたときに、池畔のしだれ柳に衣を掛け入水したと見せかけて、安積の里に向かう。しかし、春姫を失った次郎は人生に絶望し、山の井の清水に身を投げていた。春姫は、同じ清水に身をなげてあの世に恋を結んだ。

 悲しい冷たい冬が去り、安積の里に暖かな春が訪れると、「山の井の清水」のまわり一面に、薄紫の可憐な花が咲き乱れる。二人の永遠の愛が結ばれてこの花に変わったのだと、里人は その花を「花かつみ」と呼ぶようになった。

 芭蕉は、この悲しい物語に思いを馳せたのだろう。ちょうど「花かつみ」の季節でもあったので、必死にその花を探したが、土地の人も知らなかったということのようだ。
 ただ、二人が身を投げた山の井の清水は、この公園の片隅にある清水でなくて、郡山駅の西側の片平町にあるものとするものもあるとのこと。
 
 高校の修学旅行で、猿沢の池で采女を乗せた舟が3回回るというイベントを偶然見たのを思い出す。これが、仲秋の名月の晩に猿沢の池で行われる『釆女祭』だったようで、そのイメージも結びつく。

 「福島民報」の関連ニュースも整理しておく。
○ 22日には、「万葉集の木簡が初出土 紫香楽宮、難波津の歌も」との見出しで、紫香楽宮跡で出土した木簡は、万葉集の「難波津の歌」の面の浦に「安積山の歌」が書かれていたことを報じる。
○ 23日には、「初確認、第一級の古典的資料」として、具体的な解説と共に、一面トップのニュースとして扱った。
○ 26日には、「「伝説」に理解示す 木簡「安積山」専門の教授2人」との見出しで、賀市・宮町遺跡で木簡を発見し、解読・分析に携わった専門家2人が、郡山を舞台とする伝説への見解などを語ったことを報じている。この動きについては、23日の対応協議から出発まで連日報じていた。
○ 27日は「万葉歌の木簡視察し感銘 滋賀で郡山文化協名誉会長ら 」との見出しで、郡山文化協会の今泉正顕名誉会長は木簡発見の地 特別公開している滋賀県甲賀市を訪れたことを報じた。
Commented by at 2008-05-29 23:08 x
額取山(別名:安積山)を知るまでは単純に日和田の安積山を万葉集の安積山と思っていましたが、今は額取山が安積山に違いないと思っているのですが、、?
Commented by shingen1948 at 2008-05-30 18:02
「山の井」のことから、そちらが似合うという話を聞いた事があります。ただ、芭蕉はここを安積山として考えていて、井戸が近くないことを訝しがっています。
 でも、これは伝説の世界で、都人の想いの景色が原点です。散歩人としては、古の人々は、こちらを通ったろうと思うことを考えれば、ここが安積山でもよいのではと思うのですが‥‥‥。
 確かに、「うつくしま百名山」(FTV)では、額取山を万葉集に詠まれた安積山と紹介していました。
Commented by shingen1948 at 2008-06-02 20:05
 前言を撤回します。おっしゃる通りのようです。今回の事で、安積の地で、実際に起きた事との考えが強まってきているようです。伝説で都人イメージなら「あさか」という言霊のイメージが大切だと思っていたのですが……。
Commented by at 2008-06-03 18:57 x
 私も確信は持てないのですが、多田野から夏出に抜ける広域農道沿いに額取山が見事に映る池があるのですが、「ヒョっとしてこれかい?」と思ったり、御霊櫃峠に向かう堀口地区にも松並木があるので、もしかして、奥州街道は迂回していたのか?と思ったり 空想こもごもです、スミマセン、、、^^;)
Commented by shingen1948 at 2008-06-04 05:16
感性は、専門にしている方も散策人も変わり無いのではないでしょうか。
通り過ぎる者にとっては、古道からの距離が問題になるでしょうが、「あさか」が、私(たち)が思う以上に憧れの地ならば、このあたり全体が目標の地点となって、考察のファクターではなくなるでしょうし。
 いつになるか分かりませんが、散策したいなぁと思いました。
Commented by at 2008-06-05 20:30 x
高校時代にこの伝説を聴いて、日和田の山の井では子供でもおぼれないだろうに可笑しいな?と思った記憶がありますが、長じて額取山を知り、夏出に近い池を見つけ勝手に納得してましたが、芭蕉と万葉集と切り離して考えればすっきりしますね、確かに!
by shingen1948 | 2008-05-28 04:45 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(6)