地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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羽州街道③小坂峠への古道入り口~中の茶屋

小坂宿を過ぎて暫くすると、道路に赤い鳥居がかかっている。そこをくぐると、右手に水車が見え、左手に石碑が見えてくる。中の茶屋跡ということらしい。小坂峠に向かう前にここに立ち寄ったのだろうか。
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水車の前には、羽州九段の滝という所に向かう案内板がある。その案内に沿ってちょっとだけ登った休憩所から今来た道を写す。


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手前のカーブにある階段の所からは、小坂峠への古道に行けるという道案内がある。

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その古道も、何度か改良されているらしい。
現在も歩行できる二つの道筋があるらしい。


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一方は、難儀を強いられる坂である「産坂」に向かう坂のようだ。


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もう一方は、改良された小坂峠への古道ということらしい。どちらも迷わないように、木々にマークがされているようだ。


今回は、ちょっとその雰囲気だけ味わって戻り、白石国見線を進む。中の茶屋のヘアピンカーブから九十九折りに山を登るのだが、カーブがきついわりには走りやすい。
しばらく走ると、林の中に県境が現れるが、そこが小坂峠だ。

案内板では、小坂峠に関わっては次のように説明されている。

 羽州街道の難所小坂峠
' 奥羽山脈を横断する街道が最初に出会う難所が小坂峠でした。標高は441㍍とそう高くはありませんが、ほぼ一直線に上る山道は、なかなか難儀を強いられる坂でした。この坂道には「産坂」という呼び名もありますが、まるでお産の苦しみと同じだというのが由来だそうです。
 難所改良のための工事が文久2年(1862)から3年かかりで行なわれ、慶応3年(1867)にも改良工事が行なわれて、そのときの道が慶応新道として今も残っています。
 峠を上りきると信達平野が目に飛び込んできて阿武隈川や阿武隈山地も一望のもとに見渡され、その景観は羽州街道中随一といわれています。

by shingen1948 | 2008-05-24 06:34 | Comments(0)