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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「忘れ去られる古墳群」②~「大森城山古墳東一号墳」

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大森城山頂に、復元された古墳の石室がある。ここに来るたびにみているのだが、特に注目していなかった。

ただ、福島の稲荷塚古墳八幡塚古墳が二つ並んでいて、そのあたりから、周りの景色を眺めると、大森城山が見える。
そういえばあそこにも古墳があったよなと思い出した。確かめようとした時は桜で賑わっている季節だったので、それが過ぎるのを待っていた。


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案内板の説明によると、城山の南からの登り口の右手の畑にあったものとのことだ。奥壁の上部が地表に出ていて耕作のじゃまになっていたという。昭和45年に発掘調査し、山頂に移動して復元したという。


案内板は二つある。
一つは信夫観光協会が遺跡の直ぐ脇に建てたもので、もう一つは、山頂からこの遺跡に導くような位置に、福島信夫ライオンズクラブが建てたものだ。
「大森城山古墳東一号墳」
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 この古墳は、昭和45年10月に城山の東の麗字北御手地内の畑から発見されたものをこの場所に移して復元したものです。巾2m長さ9mの横穴式石室をもつこの古墳は中通り地方では最大級のもので学術上から「大森城古墳東1号墳」と名付けられ7世紀ごろにつくられたものと想定されます。当時この大森地方に住んでいた豪族の墓でこのほかにも城山をかこんで古墳があったろうといわれています。
信夫観光協会


ふるさとの良さを見つけよう
<旧跡>復元「大森城山古墳東一号墳」

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 この復元古墳は、城山の南からの登り口の右手の畑にあったものである。奥壁の上部はもと地表に出ていて耕作のじゃまになっていたが、その下部の石積と共にすべて土中にあったものです。
  昭和45年10月、これを発掘調査し、当時のままに復元されています。積石の一つ一つにつけられた数字は、復元を正確にするため図面に記された記号です。
 かってこの古墳は奥壁の高さまで積み石で廓がつくられ、その上に覆った大きな円墳でありました。
  ここに埋葬されたのは、どのような豪族であったのでしょうか。東一号古墳としたのは、この近くにまだいくつかの古墳があるとみられていて、その最初の発見を表しているものである。
ディスカバーマイカントリー
福島信夫ライオンズクラブ

by shingen1948 | 2008-05-18 04:19 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)