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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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石母田城跡


厚樫山山頂に出かけた帰り道に、国見町の石母田の供養石碑を見て、周りを探索していると、石母田城跡の案内板を見つけた。説明をみると「西山城⑥~稙宗と晴宗の対立の舞台」でまとめた奥州守護伊達稙宗と晴宗の争いで、稙宗方の本拠となったという。この時代のそれぞれの地区の主をそうぞうするのにいい。
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 右手に本郭と思われる高台があり、目の前は桃畑になっていた。それらしいところをぐるりと回ってみたが、民家の中のようなので中には入らなかった。


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国見町指定史跡
 石母田城跡
(昭和60年3月15日指定)
 石母田城は、中世伊達家の重臣石母田氏の居城で、本郭と家中屋敷が置かれた外部からなる「総溝」の縄張りによった複郭式の平城である。
 築城の時期は明らかでないが、奥州守護伊達稙宗が、その子晴宗と争った天文の乱(1542~1548)に際し、この城は稙宗方の本拠となり晴宗方と激しい攻防戦が展開された。天正18年(1580年)豊臣秀吉の奥州仕置により廃城となり城主石母田景頼は伊具郡(宮城県)高倉の荒山城に移った。
 城の遺構としては、本郭と外郭西部の土塁や、内堀などがよく保存されており、福島県内における戦国期の代表的な城跡として貴重なものである。
 昭和62年3月25日
 国見町教育委員会


石母田の供養石碑も国の史跡になっているらしい。
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史跡石母田供養碑
長方形の石柱に梵字と塔婆建立の功徳の意を漢文で刻み、終わりに「○(ときに)徳治3年11月20日知瑁 謹誌一山一寧書」とある。
鎌倉時代の禅密合一の思想をみることができる特異なもので、殊に元の帰化僧寧一山の書として貴重なものである。
(昭和10年6月7日国史跡に指定)
注意事項
一、許可なく拓本をとらないこと。
 二、みだりに葺屋内に入らないこと。
 昭和59年3月31日
 国見町教育委員会
※ 案内板では、○は漢字記載だが、表記できないため(ときに)という読みを示した。
by shingen1948 | 2008-05-16 04:15 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)