地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

観音堂山を確かめる

a0087378_61119100.jpg
 先日、日輪寺を訪ねた。この寺のある観音堂山は、人取り橋、高倉城の戦いの時に伊達政宗が本陣を置いた所である。

 「粟の巣の変事」の後、亡き父を弔って初七日が済んだ天正13年10月15日に二本松城攻撃を始める。
 一度小浜城に引き上げるが、11月に、佐竹、芦名の連合軍3万が政宗攻撃のため、須賀川まで進んだとの一報が入る。これは、伊達政宗に脅威を抱く芦名氏、岩城氏、相馬氏、二階堂氏、白河氏、石川氏周辺の戦国大名が、佐竹義重を盟主に迎えて連合軍を組織したものだ。
 政宗は、連合軍北上の報を受けて小浜城を出陣し、岩角城に入って軍勢を終結させる。そして、最前線である高倉城に部隊を増援し、本宮城玉井城にも派遣して、自らは観音堂山に陣をとる。
 こうして、政宗にとってはじめての大合戦であり苦戦でもあった戦いが始まる。
 高倉城では、伊達成実が芦名、岩城の軍と対戦し、人取り橋では老臣の鬼庭(茂庭)良直が佐竹、結城の兵と奮戦する。
 日輪寺は、寺に直接用事のある人と桜を見に来る人が多くて、伊達政宗とのかかわりで来る人は少ないらしい。
Commented by at 2008-05-14 00:34 x
本宮城は現在の安達太良神社でしょうか?玉井城は何処にあったのですか?今年、高倉山の三角点を確認してきましたが、城跡の詳細は分かりませんでした。何か情報があったらご教示くださいm(__)m
Commented by shingen1948 at 2008-05-14 22:16
散歩人ですので専門的に確定できている資料をみているわけではありません。中世の城郭を歩いている方々は、安達太良神社や本宮小を含む一帯を本宮城とみているようです。主郭としては、安達太良神社の後ろの高台あたりを想像しているようです。粟の巣で畠山氏と共に討ち死にした鹿子田館が最初なのでしょうか。マホロンの中世の館のデータベースでは、菅森舘跡(安達太良神社付近)と愛宕館跡(愛宕神社付近)が出てきます。
 玉井城は、常識的に字名の「館」にあったとみます。「大玉村水利事業史」でも、県教委の調査による大玉村の中世館跡として、14の館跡を示し、玉井城は字舘としています。ただ、「山形・宮城・福島の城郭」では、字名で名倉山の裾の中道の部落を指しています。
Commented by at 2008-05-16 16:01 x
情報有難うございましたm(__)m 私も、少し訊き当たってみます。ここ数年、何故か縁が多かった地点なので、、、。
by shingen1948 | 2008-05-10 06:33 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(3)