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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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西山城の散策③伊達五山の旧地を整理する

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西山城に入る手前に、観音寺がある。この寺は、伊達氏の4代伊達政依が室町幕府の設けた五山の制にならって創建した伊達五山の一つで、父義広の菩提寺であり、もとは臨済宗で、のち霊山寺門流に属して天台宗となり、さらに浄土宗いわき専称寺末となったという。
この伊達五山のうち、故地である桑折に現存するのはこの坂町観音寺だけで、ここには、木像聖観音座像(県文化)と両脇侍が安置されていて、3代義広の建造した観音堂の系譜を引くと考えられている。

伊達五山は、虎関師練の「済北集」によれば、4代伊達政依が、京都の東福寺主席を務め、1286(弘安9)年に会津若松の門田に東昌寺を開いて住んでいた山叟慧仏(仏智)を招いて、始祖伊達朝宗のために満勝寺を開き、次いで父義広のために観音寺、朝宗夫人、結城氏のために光明寺、義広夫人のためと推定される光福寺を創建し、そして、東昌寺を移して自らの寿塔を建ててこれに加え、伊達五山としたといわれている。

「山形・宮城・福島の城郭」によれば、伊達五山の旧地は以下のようである。
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自らの菩提寺とした東昌寺は、南北朝時代には足利尊氏によって陸奥国安国寺に指定された名刹で、天然記念物の大カヤ付近の字東にあったといわれている。
この大カヤは、桑折駅から歩いて西山城に向かってくると、上り坂になる手前の左手にある。
 
  満勝寺は、始祖伊達朝宗の墓地のある所で、先に訪れた所だ。
光福寺は、桑折町興福寺がその旧地とされている。伊達まで歩いて戻ったので途中を通ったはず。何もない田圃のはずではあるが確認しなかった。
 
  光明寺は、国見町光明寺字沼にあり、夫人結城氏の墓も所在するそうだが、ここにはまだ行っていない。

伊達五山については、仙台の「東昌寺ホームページ」が分かりやすく解説している。
by shingen1948 | 2008-05-08 05:25 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)