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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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桑折西山城③の搦手門 ~ 「桑折寺の山門」

 家に戻って、西山城散策の中で、自分で見つけられたものと見落としたものを整理する。
 現地に行った後で調べるのは、まずは自分の目で確かめることを大切にしたいからだ。
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 その中で、先に訪れた桑折寺の山門が西山城で城門として使われていた位置が確認できたことが分かる。
 「山形・宮城・福島の城郭」の桑折西山城要図によって、自分で勝手に二の丸虎口だろうと想像した部分が搦手口であることが分かる。そして、解説文から、先に訪れた「桑折寺山門」がこの搦手口にあった門であったことが分かる。

 寺の説明板から西山城から移築されたものとは承知していたが、城のどの部分かは明らかではなかった。ただ、その図には、この門の先に井戸があったらしいことも分かったが、そこは見落としていたことも分かる。もうちょっと足をのばせば、そこも確かめられたはずだ。ちょっと惜しい気分が残る。

 桑折寺前の案内板は、この門を次のように説明している。

 福島県指定重要文化財
 桑折寺山門
昭和54年3月23日指定
 所在地 桑折町字新町32番地
 所在地 桑折寺

 木造、銅版葺、四脚門
 当山門は、天文17年(1548)西山城主伊達晴宗がその城を破却して米沢に移る際、城門を桑折寺が拝領し移築したものと伝えられている。天政7年(1825)、当寺の本堂を改築に際して傷んでいたこの門も修理している。
 門口の柱間は、2.73m、奥行同1.4mと小型で、扉付のこの門は、切妻の唐破風を正面にみせる、いわゆる向い唐門である。
 たるきの上に野小屋を組み、厚手のカヤ葺としていた。細部の主調は禅宗様である。竹が高く簡素な蟇股や渦文の木鼻、また蟇股をはじめとして台輪先や木鼻などの鋭い鎬括弧しのきなどは禅宗様の崩れが少ない。昭和55年に解体修理に際して、町内防火の見地から銅板葺にされた。
 福島県教育委員会
by shingen1948 | 2008-05-07 04:34 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)