地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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西山城の探索②

これは砲台跡の案内板にある図だ。
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 西山城の中舘と西舘は、本丸ある標高193mのピークにある高舘と唐沢を挟んだ標高215mの源吾山のピークにある。この城は2つの主要部と、その間の倉部、尾根の曲輪群からなっている。そして、西側の斜面や南側の山麓には家臣団の屋敷があったと想像される。この図にはないが、西舘跡の先が、隠居館跡であるらしい。


 今回は、源吾山側を整理する。
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 まずは、中舘だが、ここは刈り取った竹の置き場になっていた。


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 現在、東側から北側にかけて、竹や下草を刈り取って整地しているらしい。お蔭で地形的な様子が良く見えている。調査が入るのか、それとも整備中なのだろうか。


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 西舘は、杉林の中のようだ。方向音痴のせいでよく分からないが、多分土塁の位置関係からそうだと思う。


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 土塁と思っているところも近づいてみると石が確認できる。石垣が組んであったと想像できる。


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 土塁の南西側に空掘りがはっきりと残っている。確認したのは舘の中からだが、これは、空堀がよくわかるように、外側から登りなおして撮ったものだ。


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 舘の西側は、石塁であることがよく分かる。西舘の南側も外側から見ると石塁になっていることがわかる。


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 西から南側を回りこんでみると、西舘入り口の標識が建っている。
 更に源吾山の東側を回りこんで一周りしてみる。西舘から突き出たところが、隠居館跡らしいが、高台の桃畑になっているだけだ。その周りにいくつかの曲輪も確認できる。


 昨日整理した本丸側と今回整理した西舘のかなり広大な範囲が、国の指定史跡になっているようだ。

 散策してみて、ちょっと立ち寄る程度では捉えきる事のできない規模の大きさを実感する。そして、山城といいながら、それなりの居住性のよさを感じる。特に、登るまでの険しさに比べ、登ってしまえば平坦部が広い。城としては、源吾山側の整備のよさを感じる。歴史的には高舘が古いのだろうが、山の高低からみても主流はこちら側だったろうと想像する。
by shingen1948 | 2008-05-06 04:26 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)