地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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稲荷塚古墳

国見町の散策のうち古墳関係を整理してきたところだが、福島の古墳に戻る。

国見の古墳の散策をしようとしたきっかけが、八幡塚古墳だ。八幡塚古墳の情報を得ようとすると、国見の八幡塚の情報が出てくる。福島の八幡塚古墳より国見の八幡塚が有名なのだ。それで、まず国見の八幡塚古墳を散策しようと思ったのだ。


福島の八幡塚を散策したのは、この稲荷塚古墳の案内板に、近所に八幡塚があるとあったからだ。
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この稲荷塚古墳を散策することになったのは、いつもと違う路地に入り込んで、あちこちよそ見していたら、気になる塚が目に付いて、近づいたら稲荷塚古墳として説明する案内板があったということだ。だから、自分で見つけた古墳という満足感がある。

この古墳、案内板では八幡塚古墳より少し新しいとなっている。ところが、「ふくしまの歴史」では、逆に少し古い5世紀後半としている。その根拠が、「はそう」と呼ばれる樽の形をした須恵器と壷の形をした須恵器が近所の水田で見つかったということだ。
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この古墳は本格的に調査された事はないとのことだが、平成3年(1991)古墳北側の周溝の一部がみつかったとのことだ。そのときの試掘調査で、帆立貝式古墳で、古墳の一部が西側に飛び出した形と考えているようだ。古墳の大きさは長さ58mで、後円部の直径は約42mと推定しているという。
これらのことに、案内板では、円墳となっていることを併せて考えると、道路が中途になっているのは、この古墳が想像以上に大きかった事が原因のように思われる。

※ 「はそう」を大辞林で確認する。
 特に考古学で須恵器の一器形にあてた名。丸い胴部に小さい孔があけられた口の広い小形壺。穴に竹の管を差し込み、液体を注ぐのに用いたとされる

※ 案内板説明内容
 
ふるさとの良さを見つけよう
<古墳> 稲荷塚古墳

 この古墳の墳上に、稲荷神が祀られているのでこの名がつけられました。北にある八幡塚古墳より少し新しい時期のものとみられていますが、同じく円墳で少し大きいものです。
内部の石室は以前に荒らされていますが、この古墳の周辺からは弥生式の土器や須恵器の「 はそう」という器が出土しています。これは、この古墳の時代を決める大切なもので、弥生時代から奈良時代までの間に、この近くに古代の人が住んでいたことも示している証拠となっています。
後に石那坂十有八士の戦功碑もあります。
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by shingen1948 | 2008-04-22 04:33 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)