地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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国見町指定史跡「森山第4号墳」を訪ねる

 この辺りでは、「八幡塚古墳」というと、国見の八幡塚古墳を指すというのが常識なようなので、その古墳をまず確かめようとした。そのついでに、近頃は国見町周辺をさ迷っている。今回は、できるだけ下調べをせずに歩いている。たどり着いた所をもとに整理していく。
 まず、古墳関係を先に整理していく。
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 防塁関係を確かめていて道路にあった標識を偶然見つけて立ち寄った。標識には、「国見町指定史跡森山第4号墳」とい名称と寺のマークしかない。その案内に誘われていくと、マークは長栄寺という寺を指していることが分かる。その寺の後方に出土した石室を風雨から守るために建てられたさやの建物がみえる。


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この埋葬施設は、横穴系で多分出入口・開口部は塊石や板石などで閉じられていたものと思われる。その部分とまぐさ石から上部の蓋の部分が取り外されて、または、ばらばらになっていたものを下部の部分を中心に修復して、内部の見学が自由にできるようにしたようだ。
石室部分は胴張りになっていて、このことからこの古墳を古墳時代後期後半から終末にかけて構築されたと特定したようだ。また、玄門部は現地の石である国見石の切石で構築とのことだから、現地調達できる技術の存在証明もしている。


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玄室内からの出土は、右側の昭和60年3月の説明板では、「銀環2・直刀1振、打製石斧1、琥珀玉が出土」となっている。左側の昭和49年7月の説明では、「銀環2個・直刀は2振、琥珀玉数個・打製石斧」となっている。この施設の特徴は、追葬が可能ということなので、直刀が1振りか2振りかは意味が違うようにも思う。
また、昭和49年7月の説明では、円墳4基のうち第2号墳と第4号墳が調査され、第4号墳から出土があったことが記されている。他は、昭和60年3月設置の案内板と内容的には変わりない。



昭和60年3月設置の案内板説明内容
国見町指定史跡
森山第4号墳

指定月日 昭和60年3月15日
土地所有者長栄寺 佐久間成章

森山字上野薬師のこの地の丘陵斜面に円墳4基からなる森山古墳群がある。そのうちこの第4号墳は昭和46年8月発掘調査が行われた。その結果、径1.8m、高さは3.25mあり、墳丘中央部に横穴式石室が施設され、玄室奥行2.7m、最大幅1.34m、奥壁部が丸みを持つ胴張り型を呈するものであることが確認された。
胴張り型石室を持つ古墳は、県内で20例を数え、半数は信達地内に分布する。この地方における胴張り石室は古墳時代後期後半から終末にかけて用いられた石室構造の主要形態をなすものと考えられ、本古墳は7世紀後半に位置付けられる。
なお、玄門部は国見石の切石で構築されており、玄室内から銀環2直刀1振、打製石斧1、琥珀玉が出土している。
昭和60年3月
国見町教育委員会

by shingen1948 | 2008-04-20 04:40 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)