地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津落城をめぐる<TBS>クイズ番組

Excite エキサイト : 社会ニュース<TBS>会津若松城開城めぐる不適切な番組内容で謝罪放送 4月8日毎日新聞

 会津若松市の市長が、TBSテレビのクイズ番組に、抗議をしていた問題で、「毎日新聞」は、8日謝罪放送を流したことを伝えていた。
 このニュース地元「福島民報」は、市長が謝罪の放送を見ている写真と、以下のTBSからのおおわび全文を掲載して、TBSが謝罪したことを伝えていた。
 2月16日放送の「歴史王グランプリ2008まさかの日本史雑学クイズ100連発」において会津藩が若松城を開城した理由をクイズ番組として取り上げました。
 その際、主な要因である「他の藩からの応援の望みが絶たれたこと」や「物資が枯渇してしまったこと」に言及せず、あたかも『ふん尿が城内にたまりその不衛生さから』が主な原因であるかのように伝えてしまいました。
 また、「逃げ出す」という視聴者に誤ったイメージを与える表現を使うなど会津若松市民、並びに関係者の方々に著しく不快感を与えてしまいました。会津若松市民の皆様と関係者の方々、そして視聴者の皆様に深くおわび申し上げます。

 このコメントに、市長は、放送が明確に「訂正」とされなかったことに「不満が残る」としながらも「真摯に受け止める。一定程度の誠意を感じた。」とした。

 これは、市が会津を侮辱したとして3月24日にTBSと製作会社に対し、謝罪と訂正の放送を要求する抗議文を提出。31日にTBSの担当者が市役所を訪れて謝罪したが、市はあくまでも訂正の放送を求めていたことの結末だ。

 地元「福島民報」の報道は、11日も「メッセージ届く 若松市民への感謝・祝意」と続く。
 会津藩主だった会津松平家の14代当主松平保久氏は10日までに、市民らの抗議活動に感謝するメッセージを市に寄せたとのことだし、直木賞作家中村彰彦氏からも「完勝を祝す」メッセージが寄せられたとのことだ。

 会津藩は、忠誠を尽くそうと愚直に動いた結果、全藩あげて悲劇的な結末を迎えただけでなく、尽くした忠誠をあざ笑う仕打ちは明治以降も引きずった。その怨念は他地域に住む方々の想像以上に深い。
 会津を離れた者だが、「『その時歴史は動いた』を見る」で書いたように、アナウンサーが慎重に言葉を選びながらも「決断が遅かったのでは」という質問にでさえ、いらつくものを覚えた。当時民衆は、落城についてそれほど関心を示さなかった事を確認しているにもかかわらずだ。

 生きのびるためという観点からは、会津の人々が払った犠牲はあまりにも大きかった。
真理に近い方が歴史的に受け入れられているという訳ではないのだから、もっと気楽に生きろよ。そんなことは充分承知している。それでも、軽薄な笑いをとろうとする姿勢には、許し難いものを感じている人は多いかも知れないと思う。

 問題の番組を見ていないが、糞尿がたまってその不衛生さだけで落城という話は聞いたことはない。当然、内部では裏切りに近いものや内通といった平時なら醜いこともあったろうし、物理的に汚いこともあっただろう。士気が落ちてしまうということもあったと思う。しかし、それが開城の理由にはなりえない。あまりにも軽薄な感性の持ち主の作った番組だったと思う。







「<TBS>会津若松城開城めぐる不適切な番組内容で謝罪放送」 4月8日毎日新聞記事内容TBSの番組で戊辰(ぼしん)戦争の若松城開城(1868年)の理由を「糞尿(ふんにょう)がたまり、その不衛生さから」と紹介され福島県会津若松市が抗議していた問題で、TBSは8日、謝罪放送を流した。

 午後1時前の放送で「(開城の)主な要因である、他の藩からの応援の望みが絶たれたことや物資が枯渇してしまったことなどに言及せず、不衛生が主な原因であるかのように伝えてしまった。市民や関係者に著しい不快感を与え、深くおわび申し上げます」などとした。市は「先人の名誉が回復された」と、謝罪を受け入れる意向を示した。【太田穣】

「クイズ番組問題、メッセージ届く 若松市民への感謝・祝意」4月11日福島民報記事内容
 TBS系列のテレビのクイズ番組で会津藩などが戊辰戦争で若松城(鶴ケ城)を明け渡した理由を「ふん尿がたまったため」としたことに福島県会津若松市などが抗議し、TBSがおわび放送をしたことを受け、会津藩主だった会津松平家の14代当主松平保久氏は10日までに、市民らの抗議活動に感謝するメッセージを市に寄せた。
 メッセージはファクスで送られた。番組内容を「祖先の名誉を傷つけるとともに会津の歴史を歪曲(わいきょく)するものと感じ、松平家の一員として非常に不快に思っていた」と思いをつづった。
 また会津藩に関する著作が多い直木賞作家中村彰彦氏からもメッセージが寄せられた。「あの苦しかったろう城戦に傷つきたおれた会津藩士とその家族、生き残って逆風の時代に歩み入った人々は、これによって再度ゆえなき屈辱をなめることなく済んだ」と抗議行動をたたえ、「完勝を祝す」と締めくくった。
Commented by しん at 2009-10-11 15:42 x
郷土に「愛着」ていどならいいけど行き過ぎかなと。
Commented by shingen1948 at 2009-10-12 05:38
 確かに、他所からこのことがらを切り離して見ると、そうかもしれませんね。
 多分、根底に、ここには戊申戦争から連続した意識が続いているという特異性があるのでしょうね。表面には出てきませんが、その中でも、死者への対峙は大きいのではないのかなと想像しています。
 ここには、西軍の墓地があって、東軍の墓地とともに今も大切に扱われていますが、普通の人が個人的に管理に携わっているようです。(意識はしていないようですが、全国的には西軍の方のみが、英霊とされているようです。)
 東軍の遺体は放置せよという維新政府の命令への割り切れなさは、一般の方の意識の根底にもあるようです。
 そんな中でのできごとだと理解しています。
by shingen1948 | 2008-04-12 06:57 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(2)