地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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縄文土器を作る時③

飯野広報12月号「和台遺跡」コラムでは、道具の違いによる文様の違いとして撚糸文土器
と押型文土器の文様の例を写真で示している。これは、いわゆる縄文早期という初期の段階での文様の例を示しているのだが説明はない。
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 先の隆起線文土器のなかに、縄や紐をおしつけて文様をつける縄文が登場するころの文様のつけ方だ。縄や紐をおしつけて文様の分布は東北南部から中部地方までとのことだ。これが、撚糸文土器で、これよりやや遅れて近畿地方で押型文様の土器が登場し、盛行するようになるようだ。
撚糸文土器は、棒に縄や紐を巻いてそれを土器に押しつける方法で文様をつける。押型文土器は、文様を刻んだ棒を押しつける方法で文様をつける。そのことを道具の違いによる文様の違いとしたようだ。

 いわゆる縄文の文化の核は、関東と東北地方と考えられるようだ。それが、早期前葉末ごろになると、北海道南部から東北にかけて押型文土器も出土するようになるという。このことから、近畿と東北に、日本海ルートを通じて活発な交渉があったことを類推している考えが多い。その後、文様は多様に変化する。
 関東では撚糸文から移行し、関東以北では沈線文、関東以西では押型文という、装飾法の二大文化圏が成立するという。ただ、器形はいずれも尖底土器とのことだ。

 どうもこの早期の縄文土器が自分のイディアに合っているように思う。
 自分が持つ縄文土器のイディアは、先が尖った容器で、縄文が施されているという感じだ。大玉村史の中の写真では、大山草川根崎出土のものに近い。玉井山城遺跡出土のものは、やや背丈が低い。

 縄文時代の前期になると一転して平底に変化するようになるという。
by shingen1948 | 2008-04-10 04:07 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)