地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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宮畑遺跡に行ってみる

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 福島市岡島にある宮畑遺跡に行ってみた。
 この遺跡は、今から四千年前の縄文時代半ば過ぎからの縄文時代の集落遺跡とのことだ。
 この頃、人々は山からおりて平地に大きな村を作り始めたという。環境が次第に涼しくなってきため、住居は掘り込み深くし、太い柱を使ってがっしりとつくっているとのことだ。
 この遺跡は、3期の集落の変化が考えられているようだ。今から4500~4000年前の中期、4000~3000年前の後期、それに3000~2500年前の晩期だ。晩期のムラは、同じムラが2000年間続いたのではなく4500~4000年前の中期のむらで生活していた人がムラを離れた後に、他の場所から来た人が宮畑の地に移ってきてまたムラをつくったと考えられているとのことだ。


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 現在のこの遺跡の様子は、工業団地の整地中の広場という雰囲気だ。遺跡と分かるのは、「じょうもぴあ宮畑」と書かれた柱が一本建っているということだけだ。
 ここで、縄文のイメージを膨らませようとても難しい。周りの様子もあるが、縄文遺跡の定番である台地ということのイメージでもない。


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 この遺跡は、福島工業団地の第六期造成工事がきっかけとなって発見された。
平成15年8月に国の指定史跡になった。そこで、遺跡を史跡公園として整備することにしたようだ。
隣接する工業団地という現代的な景観との調和を計りながら、この遺跡を後世に伝えるという役割を担った整備ということになるという。


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 遺跡からは膨大な量の縄文土器片が見つかり、イノシシとニホンジカの骨なども大量に見つかっているとのことだ。それらに混じって鴨などの鳥類や蛙などの骨もあるが、特に注目されるのは、サメの背骨が見つかっていることのようだ。富山や新潟原産の翡翠の珠が出土したこととあわせて、阿武隈川を使った交易が推定されている。

 ここからは現在までに200基をこえる“埋甕”とよばれる地中に埋められた縄文土器が見つかっているという。これらは乳幼児や死産児のお墓であると考えられている。
この遺跡には、今も現地にたくさんの埋甕が残っているという。
by shingen1948 | 2008-03-31 05:04 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)