地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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お地蔵様①~岳道の地蔵塚

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これが、岳道らしい。高橋氏は、4号国道から七ツ壇古墳へ導くのに、「地蔵堂古墳群」と題して、この大山と本宮の境に走る道に沿って描写していく。そのことは、先に「七ツ壇古墳から消えた古墳③ 塚の消滅」で書いた。
そこに描かれているのは、地蔵塚を中心とした塚の様子だが、散策する者にとっては七ツ壇古墳の世界に導く重要な原風景だと思っている。

 4号国道と岳道路の交差点を、西に登ると登り切った左手の小高い丘に数基の石の供養塔立ち並び、南端に珍しい層塔内に入った石の地蔵様があると描写する。
 この付近に7塚あり、種々の伝説が伝わっていたが、‥‥‥。この地蔵の塚も7塚の一つと聞いていると描写は続くが、現況からその風景を想像するのは難しい。
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 現在は、4号線から西に向かう太い道路も建設されている。そちらからみると描写された位置は、右手の小高い所あたりだ。

 お地蔵様については、知っているつもりになっているが、実はよく分かっていなかった。確認すると、以下のような説明が一般的なようだ。

地蔵菩薩は、釈尊の入滅後、弥勒菩薩が修行を終えてこの世に現れるまでの五十七億六千万年の無仏時代において、六道をめぐって衆生を救済するホトケとされる。修行僧の姿をし、左手に宝珠、右手に錫杖を持つのをよく見るが、諸々の持物の像がありバラエティーにとんでいる。宗教の宗派に関係なく信仰されるのが特徴である。 
 地蔵の真言は、「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」といい繰り返し唱えることで大きな利益を得られるという。長いものを陀羅尼といい、地蔵を賛嘆する呪文とのことだ。 
歴史的には、次のような経緯という。
日本には奈良時代に地蔵経典の伝来はあったが、信仰としてはほとんど広がりを見せなかった。平安末期から広がりを見せた浄土経の発達に伴い、菩薩形から僧侶の姿に変えたという。
 獄における衆生の苦しみを救い、また賽の河原に於いて子どもを守る守護役として存在感を示しはじめた。

 日本民衆に多くの親しみを与えた地蔵信仰は室町時代からで、6道輪廻の各所に現れる六地蔵信仰から爆発的に広がりを見せ、日本古来よりの道祖神と習合して発達した。
 江戸時代には鎌倉時代に始まった身代わり地蔵信仰が発展し発達して泥着け地蔵・矢取地蔵・縄目地蔵延命地蔵子育て地蔵腹帯地蔵とげ抜き地蔵水子地蔵などが作り出されたとのこと。
by shingen1948 | 2008-03-23 04:20 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)