地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「米沢藩年貢米蔵」の2

 福島市柳町にある「米沢藩年貢米蔵」が、解体保存されることになったことを書いた時、名倉邸を整備したり、福島城であった県庁南の阿武隈川河畔を整備したりしていることを思い出した。当然、何度か訪ねているのだから、そのことを書いていると思って探したが見つからなかった。
 一枚だけ写真を見つけて貼り付けて、新聞の情報をまとめておいた。

 でも、ちょっと納得がいかないでいたのは、散策の時にデジカメに収めた記憶があったのだが、それが見つからないことだ。書かなかったとしても、船着場の復元整備の様子や、名倉邸の様子を写真に収めた記憶があるのに、それも見つからないのだ。
 それでも、削除してしまったのかなと思って、納得させていた。

 最近、カメラ付き携帯電話の撮りためた写真を眺めていたら、その時の写真があった。デジカメでなく、こちらで撮影していたのだ。この写真が先に書いた時に欲しかった。
 「今月までの忘れ物」の一つとして、貼り付けておく。
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 まずは、「米沢藩年貢米蔵」


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 次に、阿武隈川河畔に整備された船付き場再現


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 阿武隈川の舟運についての説明板

 なお、福島県立博物館調査報告第18集「江戸時代の流通」~福島県を中心とした舟運と陸送~に納められた「近世後期阿武隈川河岸の存在形態~信達地方を中心にして」で、梁川地方の河岸の存在形態を中心に検討しているのを見つけた。その中で、安田初雄「御城米津出と阿武隈川の舟運」<福島史学研究49>に、水運の基点となる河岸の構造や運営について詳しいということを知った。
 恐らく案内板の説明もこれを元にしていると思われる。いつか確認したいと思う。
by shingen1948 | 2008-03-21 04:29 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)