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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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立子山の凍み豆腐

大森の円通寺には、福島の民権壮士斎藤(阿倍)又郎の生家を訪ねるときに立ち寄った。生家の位置を確かめる目印としたのだが、結局、道路が整備されていて、生家にはたどり着けなかった。ただ、半沢氏のメモによるとこの寺も斎藤(阿倍)又郎と縁が合って、住職吉岡氏は、斎藤又郎の姉スミの孫とのことだった。このことは「福島の民権壮士を訪ねる 」に書いた。
この時、立子山の凍み豆腐は、大森村円通寺と関わっていることの説明を見つけた。

 大森村円通寺の住職が高野山で出会った精進料理に感激し、そこに使われていた高野豆腐を持ち帰った。そして、福島の気候に合わせた製法で凍み豆腐をあみ出し、近所の人に伝えた。
 その後福島城主であった板倉重寛公の御用達として生産され、この地区に根付いたものだった。大正時代になって立子山の篤農家管野總治郎氏が本格的に研究を始め、300年の製法を基に、現在の凍み豆腐が完成したとのことだ。
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 福島から飯野方面のバスに乗り、立子山から飯野町に抜けるバイパスから旧道に入る。その山道を登って行くときに、この手作り天日干しが眼下に見える。

 最近、「福島ふれあい歴史館」のページで、この凍み豆腐に触れている箇所を見つけた。円通寺との関わりは確からしい。季節便りにはちょっと遅めだが、書いておく。
 なお、大森村円通寺の住職が高野山で出会った高野豆腐の歴史は、750年ほど前、鎌倉時代の初め頃に高野山の僧房で生み出され、江戸時代に高野山の土産物として全国に広まったものとのことだ。
 また、立子山地区の凍み豆腐は、昔は農家が自分たちで食べる分を確保した上で近隣へ売りに行ったのが始まりのようだ。それが、農家の副業として家内工業的になったとのことだ。
更にそれ以前は、凍み豆腐作りは豆腐屋が行なっていたらしい。農家は自分のところで収穫した大豆を豆腐屋さんへ持って行き、凍み豆腐を作ってもらっていたとのことだ。それが、自分たちでも作れるようになって、農家の副業になったという経緯らしい。
 「民友ニュース のページ」に「冬にいそしむ農村の副業2」という農家の家内工業としての凍み豆腐作りの映像があった。
by shingen1948 | 2008-03-15 05:06 | ★ 季節便り | Comments(0)