地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大壇遺跡

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大壇遺跡発掘調査報告書を見つけた。平成8年に玉井小学校プール建設に伴う調査だったとのことだ。
成果は、8っつの土坑と僅かな出土品しかなかったようだ。
 土坑のうち、径10~15㎝深さ8~15㎝の円形の落穴状土坑や長さ163㎝~300㎝幅60~70㎝深さ76~80㎝の長方形の落穴状土坑と推定されるものがあったようだ。出土品のうち図示できたのは石器2点と土器片3点のみとのことだ。土器片は斜縄文で僅かに繊維混入から縄文前期前葉を比定している。石器は、頁岩製の剥片とのこと。
 これらのことから、ここは縄文時代の狩り場としての機能を考えたようだ。

 「大玉村史」によると、大壇遺跡は円墳の「大壇古墳」となっている。備考に玉井小学校裏山とあって、鉄製品と土師器が出土しているとのことだ。また、この近くでは、備考に西方玉井小学校とある薄黒内遺跡がある。これも、土師器・須恵器が出土しているということで、縄文遺跡としては記録されてはいなかった。
掲げられた地図を見ると、今回の調査は、この遺跡の南西の端をかする場所で、円墳の縁にあたる場所なので、埴輪などの出土も期待できた場所だったがなかったということかもしれないし、端をかする程度だったので古墳としての成果がなかったということなのかもしれない。
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 風景は、その人その人によって見え方が違う。高橋氏は、この景色に円墳をイメージして散策したのであろう。戦時中に玉井小学校に在籍した方は、空襲警報時の高学年の避難場所としてイメージする。低学年は、校庭の端の桜の木の下あたりに掘られた防空壕に入ったと聞く。本宮グンゼ工場の空爆は、ここからも見えたとも聞く。「シビョウイン」なるものがあったとも聞く。戦後、伝染病にかかると入った病院らしい。漢字で書くと「死病院」、そのころの方は、そのイメージだろうか。
 そして、調査をされた方のイメージは、縄文時代の狩場ということだ。このイメージを、「ふくしまの歴史」によって膨らませておく。
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旧石器時代までは、狩りの代表的な道具は槍だったが、縄文時代になると弓矢が多く使われるようになったとのことだ。
 このことで、早く正確に獲物に命中させることが出来るようになったことと、鳥や小動物も採ることができるようになったとのことだ。
 日本で見つかっている弓は、単弓という1本の木で作った丸木弓が多く、長さは1.6㍍ぐらいとのことだ。また、この時代にはすでに猟には犬も使われていたようだ。
by shingen1948 | 2008-03-07 04:26 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)