地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

道の駅の塚

a0087378_5571196.jpg 
何度もここに立ち寄っているのだが、この塚には気づかずにいた。案内板には、以下のように説明している。


  堀込遺跡(塚)

 この塚は、4号国道福島二本松間のバイパス建設に伴い、昭和54年に安達町教育委員会が発掘調査を行い、記録保存したものを復元したものである。

 塚は、15世紀以降に築造されたと考えられるもので、4基調査された。従来はもっと数多く分布していたと云われている。調査された塚の配置は、大型の1.2号塚と小形の3.4号塚が組になるものと考えられている。

復元した1号塚は、長径6.7㍍、短径6.5㍍、高さ約1㍍の半球(土饅頭)形のものである。この塚から永楽通宝が20枚出土している。また、2号塚は、長形6.6㍍短形6.4㍍高さ1.2㍍の半球形のもので、永楽通宝が1枚出土している。

 この遺跡は、古墳とされていたが、発掘調査の結果、埋葬施設を持つ古墳ではなく、宗教儀礼や境界・里程を示すためのいわゆる「塚」と考えられる。

安達町教育委員会

永楽通宝を確認する。
この通貨は、室町時代に日本へ大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通し、永楽銭とよばれた。形状は、円形で中心部に正方形の穴が開けられ、表面には「永楽通寳」の文字が上下右左の順に刻印されている。材質は銅製、貨幣価値は1文として通用した。
主に流通していたのは、伊勢・尾張以東の東国で、関東では、永楽通宝が基準通貨と位置づけられていた。
慶長13年(1608年)には通用禁止となり、寛永通宝等の国産の銭に代わった。
by shingen1948 | 2008-02-27 05:59 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)