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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「米沢藩年貢米蔵」

 「朝日新聞」(2009.2.22)は、福島市柳町にある「米沢藩年貢米蔵」が、解体保存されることになったことを伝えた。
 蔵は瓦屋根で、漆喰塗りだが一部なまこ壁だ。阿武隈川の水運を送る際の一時保管場所として使われていたと見られている。
 福島市では、福島城であった県庁南の阿武隈川河畔を整備し、名倉邸を整備してきている所なので、風景として惜しい気もするが、持ち主の母屋新築に関わるとのことで、次善の策として仕方がないのだろうと思う。

 ここを昨年に何度か訪ねているので、どんな風に書いたかを確かめようとして確認したら、記事にしていなかった。これを機に、その時に撮った写真を探して貼り付け、この新聞の情報をまとめておく。
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 蔵は木造2階建てで、述べ床面積は66.24平方㍍で「米沢藩年貢蔵」と呼ばれている。蔵は、福島城の南で阿武隈川の河畔にあった。
 明治20年(1887)鉄道の東北線が開通して舟運が衰退。
 明治14年(1881)当時の福島町にあった建物8割が焼けた「甚平衛大火」では、この蔵は焼失を免れた。
 明治33年(1900)近くの人が現在地に移築した。

 築200から300年で、困窮のどん底から藩を救った上杉鷹山が活躍した時期と重なる。山形大学の横山名誉教授が「鷹山は、無駄なく確実に荷を運ぶため、商戦ではなく自前の船を使うなど輸送ルートの管理には力を入れた。ゆかりの米倉だとすれば、山形県内にも現存するものはないので、大変貴重なものです」 と話す。

 福島の古い建物の消失は、取り壊しによるものもあるが、大方は「甚平衛大火」によるもののようだ。その大火を潜り抜けた建物という価値が大きいとみる。
 現在この蔵があるところは、奥州街道を信夫橋を渡って福島宿に入って直ぐの東裏通りだ。それで、一応分類を「奥州街道」にしておく。
by shingen1948 | 2008-02-26 04:11 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)