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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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七ツ壇古墳から消えた古墳① 産土神壇

7ツ壇古墳を訪れた時に、これだけ開発されている地区であるのに、よく原風景に近いものがよく残っているなと感動した。しかし、それでもこの古墳群から消えていった多くの古墳群があるという。庚申檀古墳付近でさえ、いくつか消え去っているというのだから驚きである。

 案内書にこの古墳群から消滅した古墳として紹介されているのは「産土神壇」だ。この古墳は、高橋氏の散策している時代には、まだ存在していたようだ。
 どこにあったのだろうかということについて、高橋氏の描写で散策しながら確かめてみる。

 以下のような二つの表現を並べてみると、位置関係が見える。
 ① 
金山古墳の西方約150m程にあり、字地蔵堂54・50・48番地にあり、高さ2.5m、径18mの円墳、壇上に平に均され、上に小祠があり、まわりに雑木が立っている。

 ② 天王檀との位置関係では、この産土神壇の南に、こんもりと茂る森が天王塚で、……。という表現がある。

 このことから、産土神壇は、天王檀の直ぐ北の畑にあったと推定することができる。

 高橋氏が散策していた頃には、産土神壇はまだ存在したが、すでに近くの古墳が消えてしまっているものがあって、そのことについても紹介されている。
 金山壇と産土神壇の間に、もう一つ塚があり、産土神壇の西方50mほどにも熊野塚が一つあったが、大正初期に畑にされ、更にもう一つ、南側80mほど西方にあったが、明治初年頃畑にされた。

 つまり、金山古墳の西方約100m、産土神壇からは50mの位置に熊野塚があったということであり、天王檀の西方80mの位置には、もうひとつ古墳があったということのようだ。
七ツ壇古墳から消えた古墳① 産土神壇_a0087378_4544515.jpg
 関係あることなのかどうかは分からないが、住宅地図には、現在新しい家屋が建っている位置に金山壇古墳と表記されている。単純な誤植と思っていたが、消えた古墳がたくさんあって、名称は違っているがその中の一つを表しているのかもしれないとも思う。 

 なお、産土神壇はここから東北方下に見える宮下部落の産土神であり、この塚の周辺から埴輪円筒片が出土しているとのことだ。また、消え去った古墳の紹介には、北谷地の渡辺夘吉氏によるとということで資料のありかが示されている。
by shingen1948 | 2008-02-20 05:03 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)