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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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庚申檀古墳③

 高橋氏は、地蔵堂古墳群をいろいろな観点から眺めている。氏の博識故にできることなのだが、単純に散策を楽しむ者にとっても、このことはありがたい。いっぺんに示された観点で景色を眺める事は難しいので、一つずつばらばらな観点にして、同じ景色を、何度かに分けて眺める。

 ばらばらにした観点の一つは、この地の思いが、住んでいる行政区によって違うという事だ。
 庚申檀は、大玉村と当時の本宮町との境にある。
 大玉村のこの地への思いや言い伝えは、本宮町のそれとは違うという。それは、この地の呼び名に現れているとのことだ。
 本宮町のこの地への思いは、この地が本宮市であるので、案内板に掲げられた通りだが、大玉村のこの地への思いは、消え去る運命にある。消え去るであろう部分を拾い出しておく。

 高橋氏の紹介によると、庚申檀は、本宮町の呼び名だ。
 大山地区(大玉)では、この地は馬乗地山というそうだ。由来は、この地区の台地全体が、長尾氏の館であることにかかわる。この長尾氏が、台地の周りを馬乗場にしていたからだという。 この長尾氏は会津葦名の臣で、南朝の忠臣楠氏の後胤だという。後に名郷氏または菊田氏といったという。長尾を名郷に直したという言い伝えられているとのことだ。

 地図を確かめると、確かに周りの字名に「名郷」という呼び方とかかわるものが残っている。

 この庚申檀のある台地にかかわって、もう一つの観点は、石室の材料の石切り場としての想像だ。氏は、以下のように描写している。
 馬乗地山(庚申檀)の東北方鉄道線路の東側に、雑木に包まれた円墳がある。字壇にて、人工なる壇ではなく、花崗岩からなる地山上に古墳を築いたのである。埴輪円筒等がまわりから出土することがある。この壇の北下りは畑、西は崖となり、下は田圃、南と東は畑にて、東の畑に面した処に、花崗岩の自然路頭あり。大石が縦に数条裂けている。
 花崗岩の露出地は、本宮町阿武隈川の東岸と、大玉地区阿武隈川両岸、杉田阿武隈川両岸と近くは限られており、古墳の石室に使用された多くの花崗岩は、この地区から運搬されたことと思われる。石室に使用された花崗岩の大石は、玉井百々目木近く迄ある。

 これらの紹介が、この古墳群を紹介しながら、消えてしまった古墳について紹介したり、石室と思われるものが、崩壊されていく様子の描写の伏線になっている。

 庚申檀古墳を眺める観点に示唆を与えられるだけでなく、この地区に現在残されている石碑の見方も変わる。
by shingen1948 | 2008-02-19 04:51 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)