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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安達郡衙分置基礎データを確かめる②

 安達郡衙について、理解するのに、「陸奥南部の郡衙立地条件と水運」の報告書の中から「陸奥南部諸郡データ」の表をもとに基本的な情報を確かめた。
 郡山台遺跡(安達郡衙)には、案内板が立っていて、発掘された状況について説明されている。
 
郡山台遺跡(安達郡衙)
 この一帯は、江戸時代の多くの編纂本に焼米を出土する地として紹介されており、また虎丸長者伝説が語り継がれている地でもある。
 当市教育委員会では、遺跡の規模・性格を解明するために、東北大学名誉教授・伊東伸雄博士の指導を受け昭和51年度から昭和57年度まで7年間にわたり発掘調査を実施した。
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 その結果、規模は西地区で約100m四方、東地区で東西300m×南北200mの広範囲にわたり、西地区において塔跡1棟、掘建柱建物跡2棟、東地区に置いて掘建柱建物跡31棟、礎石建物跡6棟、掘建柱○跡7条、溝跡7条、道跡1条など多数の遺構検出と焼米10トン、瓦、土師器、須恵器、礎石など多数の遺物が出土した。
 これらの成果から、棟遺跡は平安時代に編纂された「延喜6(906)年、安積郡を割りて安達郡を置く」と記述されている「安達郡衙」であることが判明した。
 当遺跡は、7-8世紀の律令国家の発展期の後を受けた貴族政治展開期の遺跡であり、さらに考古学上、例の少ない平安時代政治史上稀有の遺跡としても重要であり、後世に残さねばならない埋蔵文化財である。
昭和60年3月
 二本松市教育委員会

文化財保護法により、当遺跡内における土木工事等の開発は、自由にできませんので注意してください。

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 「陸奥南部の郡衙立地条件と水運」の報告書で示された安達郡衙の地図と案内板で示された地図を見比べると、報告書が示す地図は、東地区の状況を示しているようだということが分かる。
 基礎データで示された「郡司層建立初期氏寺:  郡山台遺跡西地区寺院」は、案内板の小さい四角で囲まれた部分で、報告書の地図からは外れている。
 報告書の主旨からは、上部に見える杉田川とこの地図の西に走る道につながる位置であることを頭に入れて読むことが求められている。
by shingen1948 | 2008-02-13 04:33 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)