地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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傾城檀古墳

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 散策をして知った事柄が、地域の中ではなく、もっと広い報告の中での扱われ方を見ることで、見えてくる意義を確かめている。

 大玉村にある大きな前方後円墳は、二子塚古墳と傾城檀古墳だが、紹介されることが多いのは、傾城檀古墳だ。
 「ふくしまの歴史」では、次のように紹介されている。
 東北地方で最も古い古墳としては、全長41メートルの傾城檀古墳(大玉村)や全長45メートルの杵ガ森古墳(会津美里町)の前方後円墳が知られています。これらの古墳は、大和地方で前方後円墳が造られ始めた直後に、築かれたと考えられています。
 それからやや遅れて、全長82~83メートルの東北地方で最も大きい前方後円墳の大安場古墳(郡山市)が造られました。大安場古墳では、大和朝廷と政治的なつながりを示す「車輪石」(腕輪)が見つかっています。

 「発掘ふくしま2」では、柳沼賢治氏が、「古墳に葬られた人々」として、大安場古墳の発掘調査についての報告の中で、以下のように触れている。
 中通地方は会津地方とは異なり、安達郡大玉村傾城壇古墳(全長40m)が知られていた程度であり、こと前期の大型古墳限ればその分布がきわめて乏しい地域だったのである。

 そういった状況の中で、東北地方で最大といわれる大安場古墳を発見したことが、いかに大きな喜びにつながったかを綴っている。
 「ふくしまの古墳時代」では、「前期古墳の探求と調査」の章で、「東北最古の古墳か、傾城壇古墳」という項を起こして、中通り地方の古墳について以下のように述べている。
 昭和54年に大玉村故高橋丑太郎氏が収集した資料の中から、赤く塗られた土器の破片に気がついた。古墳時代前期の中でも最も古い段階の土師器だった。土器の破片には傾城壇古墳と書かれてあったのである。もし、間違いがなければ東北はおろか全国的にも古い段階の古墳が大玉村にあることになる。にわかには信じられない思いだった。

 続けて、「古墳時代前期の中通り地方」と項立てして、古墳時代前期の中通りの勢力について以下のように纏める。
 古墳時代前期には、唯一、傾城壇古墳を築いた勢力がやや有力である。古墳のある大玉村中心とする地域では、古墳時代前期の古い段階から中期にかけての集落があり、傾城壇を築いた勢力がこの地を基盤に4世紀から5世紀にかけて活動した様子を知ることができる。
 前期後半になると、東北地方で最大の前方後円墳である大安場古墳が出現する。

 傾城壇古墳は、中通り地域の古墳時代の幕開けとしての意義があり、傾城壇古墳を築いた勢力が、大玉村を中心とした地域を基盤としていたことが、最近の見方であることが確認できる。また、その根拠となる事柄は、大玉村故高橋丑太郎氏が収集した資料によっていることのようだ。また、この意義は、傾城壇古墳の発掘調査が進展して深まっているのではなく、大安場古墳の発見と発掘の成果とのかかわりで、深まってきているという状況であるらしいことがうかがえる。
by shingen1948 | 2008-02-08 04:38 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)