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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安達太良山麓縄文遺跡

 縄文遺跡が中心となる台田遺跡や荒井原遺跡・原瀬上原遺跡の位置は確認しているが、まだ現地を訪れていない。しかし、各遺跡を訪ねていくと、縄文の遺跡が重なって発掘されている。また、遺跡を訪ねる途中で、縄文遺跡を通り過ぎている。特に、蝦夷穴古墳を探し当てるのに目印になった山崎遺跡から出土した土器が、ふるさとホールで展示されていて、実際に報告書を読んでいないのだが、実感が湧いている。この時点での、安達太良山麓の縄文遺跡について整理しておきたい。

 上の台遺跡発掘調査報告書には、縄文遺跡である山﨑遺跡について、次のように触れている。
 同じ丘陵上には、縄文時代中期~後期の山﨑後遺跡がある。この遺跡は、昭和62年に調査が実施され、北陸の馬高式土器の影響を受けた縄文時代中期中葉の大型住居跡や同期後葉の複式炉などが発見された。複式炉は、大玉玉井の台田遺跡や本宮荒井上原遺跡、二本松市原瀬上原遺跡、田地ケ岡遺跡からも多数発見されており、安達太良山麓の縄文時代を代表するものになっている。

 下舘跡発掘調査報告書の第二節周辺の遺跡でも、縄文遺跡に触れているところがある。
 縄文時代の遺跡の多くは、安達太良山からの丘陵に位置している。これまでに調査を行なった台田・山﨑遺跡からは中期の土器と複式炉を伴う住居跡が発見された。また、本遺跡から約1.2km北西の丘陵に在所する上ノ台遺跡からは、前期に比定される土器と住居跡が発見された。

 玉井小のプール建設に伴う大壇遺跡発掘調査報告書も目にしたが、ここからは、大きな成果はなく、当時の狩り場であったのではないかと推定したようだ。
狩り場ということでは、ふくしまの歴史ダイジェスト板で次のように記載されている。
 狩猟は木の実が食料に加わっても、依然として食料入手手段として重要であった。しかし、温暖化でナウマン象やオオツノジカなどの大型動物は姿を消してしまっている。動きの速いしかやいのししが中心になっている。そのために、弓矢が生まれ、鏃が使われるようになる。
 縄文遺跡のゴミ捨て場らしいところには、骨が残っていて食料を推定することが出来るのだが、かえるやかもも食べたし、サメも食べたらしいという。福島ではサメの背骨が見つかっているらしい。更には、投網のおもりも見つかっているから、漁もしていたのだろう。勿論、クルミなどの殻も残っているとのことだ。

 安達太良山麓の「原瀬上原遺跡」については、後日行ってみたいと思っているが、現時点では、「福島の文化財」のページを参考にしている。
 「原瀬上原遺跡」は、縄文時代(1万2000~2300年前)集落(ムラ)として、県指定史跡になっているとのことだ。以下のように説明されている。
 この遺跡は、中央の広場を囲むように住居が建てられた縄文時代中期の集落が発見されました。現在は、当時の集落のようすがわかるように復元整備されています。

 企画展図録「発掘ふくしま2」福島県立博物館 1998「昔の姿にもどされた竪穴住居」の写真も紹介されている。
by shingen1948 | 2008-02-03 04:22 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)