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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

縄文土器と文化

 鉄と文化の話を聞いたことをもとにして「縄文土器と文化」を考えてみる。
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 縄文土器の文様は時代を追って変化しているという。縄文の飾りが華やかになっていき、縄文時代中期前半には、大型立体複雑な飾り付けになったという。この華やかな時代の遺跡が山﨑遺跡らしいということが、ふれあいセンターで分かった。

 土器との出会いとこの文様の変化の関連が、「縄文土器と文化」を考えるヒントと思う。「ふくしまの文化」ダイジェスト板に土器との出会いについてふれているところがある。

 土器が出現したことで初めて出来るようになったことは、「煮る」ことと「ゆでる」ことなそうだ。
 このことは、以前には口にすることができなかったものが、食べられるようになるという意味があるという。特に、水を換えながらゆでるとか、草木灰を使ってゆでるという工夫を通して、苦かったり渋かったりしたドングリやトチなどの木の実が食べられるようになったということで、食べられるものが格段に増えたということが大きな変化だったという。

 土器には「食べ物を生み出す力」が備わっていたということだ。その器の力をより強くするために、さまざまな文様で飾るようになったという考え方もあるようだ。木の実が食べられるようになると、波及的に、それを粉に加工する石皿とか、摺り石といった新たな道具が開発される。
 更には、木の実は安全に子どもも女も大量に収穫可能なものであり、蓄えが可能であることから、安定と定住をもたらしたものの根源ということでもある。
 この食べ物を生み出す力が、定住をもたらしたということは、ムラの発生の一つの力でもあったということだ。また、技術的な部分では、火とのかかわりを深め、炉の発達にも影響を及ぼしているだろうことは直ぐに思いつく。縄文中期に複式炉にたどり着く。

 文様の変化を整理しておく。

 縄文時代早期(1万2000~1万年前)棒や貝殻、木のへらで文様をつける。それが、縄文時代前期(6000~5000年前)縄文の飾りが華やかになっていき、縄文時代中期前半には、大型立体複雑な飾り付けになったという。
 岡本太郎が、縄文遺跡にのめり込んでいったのはこのことかと気づく。数年前、岡本太郎展で、彼の作品に生きるエネルギーを感じ圧倒された。その時に、縄文遺跡にのめり込んでいくという事実は知っていた。しかし、その時点では自分は、根本的なところは分かってはいなかったということを発見した。
 縄文の文様には、「豊かさ」を生む人の気が込められているのだが、その気を感じる力がなければ、のめり込めないということであり、全勢力を込めて作品作りに没頭する氏だからこそ感じられたのであろうということを。

 縄文時代半ばを過ぎると土器の文様は飾りが少なく簡素になっていく。土器自体は色々な形になり、終わり頃は、細工の細かい漆塗りも出てきたという。この時代は、実利としての土器であり、その粘土を焼いて土器を作る技術の改良が、弥生式の土器へと変化していくのだろうと思う。
 縄文時代は、食べることが文化になっていく豊かな時代だったということだろうと思う。
by shingen1948 | 2008-02-01 04:32 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)