地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鉄は何を変えたかを整理する

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「古代鉄生産の技術」で、考えさせられたことを、思い出すままに整理しておく。
 まずは、福島県の古代の製鉄遺跡は、大和政権が東北征討の影響と関わっていると考えられている。時代と蝦夷の観点整理が必要であり、征服のための武器としての鉄の関わりの理解である。

 征服のための武器と鉄との関わりについては、実利的な観点から一般的な整理がなされているようだ。個人的な単純な疑問である蝦夷穴古墳は何で掘ったのかということは、もうこの段階で回答を得ている。鉄の道具で掘ったことは明らかだ。
 今回理解できたことは、もうちょっと深かった。

 「真金吹く陸奥の行方」の冊子では、「鉄は何を変えてきたか」という項がある。その中で、金属器の出現は農耕の発達に深く結びつき、生産量を飛躍的に増大させたと説明する。鉄斧は、石斧の3~4倍の効率があり、木を切ったり、灌漑工事をしたり、更には農耕自体が鉄の利便性の説明から入る。
 今回の村上氏の講演でも、そのことを裏づける資料として、「鉄は農の柱礎」という言葉の出展として、下原重仲による「たたら製鉄の技術書「鉄山秘書」1784」を挙げている。
 同冊子は、続けて土地が富を生み、争いが熾烈になる側面と、鉄のよろいや冑鉄剣、鉄鏃など、戦争の形態を変えた側面を挙げて鉄の役割を広げて説明していく。そして、製鉄と鍛冶の技術集団の出現という社会変化の出現にも説明が及ぶ。
 更には、膨大な原料と燃料の必要性は、広大な山野と労働力の動員を必要とし、強力な権力支配が必要だったということで、権力のありようまで変えたとしている。
 村上氏も、アドルフヒットラーの「鉄なくして国家の自由なし」の言葉を挙げて、鉄の利器と武器の側面も語る。
 これが、一般的に理解されている鉄とその文化の側面であろうか。

 今回の村上氏の講演で、鉄の別の側面にふれていることに着目したい。それは、日本の鉄とのかかわりではなく、世界史の中での鉄とのかかわり例として挙げている。
日本への鉄の文化の伝達元である東アジアの鉄の起源について、氏は、殷代中期(紀元前1400~1100)で、金属の利器としては、黄河流域は青銅器であったとしている。ごく一部、隕鉄を刃の部分に貼り付けたものはあるものの、鉄を実利の用には供していないのではないかとする。
 また、西周代末期(起源前8世紀)人工の鉄を用いた玉柄鉄剣は墓地より出土していることを挙げ、鉄は希少価値であり、権威の象徴儀礼の道具に使われたことを強調していた。
 そのまた鉄の文化の伝承元であるヒッタイト王国の金柄鉄剣も同じような使われ方だったのではないかとした。ここは現在、最初に鉄を使ったと思われているところだから、鉄と世界ではじめて接した人々がどうだったかということでもある。
 更に、粘土板文書によって、エジプトのツタンカーメン王の墓水晶柄鉄剣は、ヒッタイトからもたらされた贈答品用ではないかとする例も紹介している。

 氏が言いたいのは、鉄は利便性としてのみ人々と関わってきたのではないということだ。鉄を作った人々は我々が想像する以上に特別待遇を受けていた可能性についても触れ、宗教学者身ルチア氏の治地師が呪術やシャーマニズム、医術司祭者などの役割を果たしたことの指摘も紹介して、利器と武器としての鉄というイメージに矮小化しないように訴えているところが考えさせらるところだった。
by shingen1948 | 2008-01-28 18:48 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)