地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「ふるさとホール」の埋蔵文化展示

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 大玉村の「ふるさとホール」に行ってみた。入って直ぐの左側が図書館で、右側が古民家を移築したような部屋があり、その向えが展示場になっている。その展示場の半分に埋蔵文化関係が展示されている。
 入って直ぐの正面に展示してあるのが、円筒埴輪だ。その奥が資材室になっている。見えるのは古民具だが、恐らく村の中で発掘された遺物もここにあるのだろう。
 先日報告書を読み、同遺跡を訪れた大畑遺跡から出土した墨書土器も、展示してあった。その説明の中で、元相応寺跡からは、「寺」(この字だったか記憶が゛曖昧)の墨書文字が見つかっていることが説明に付け加わっていた。相応寺というのは、永禄3年(1560)室町時代に、今の南町に移ってきた寺だが、大同2年(807)平安時代の初め頃、徳一が眉岳に創建した寺とされている。現在地に移る前に、室町時代か鎌倉時代後期に、西の内に移っている。恐らく、元相応寺というのはこの西の内のことだろうと思う。ここからは、室町時代に作られた薬師如来三尊像鎌倉時代の碑・大きな須恵器のうなりガメが保存されていることを説明するパネルも展示されている。
 この墨書のある土器のコーナーには、その時代の他の土器も展示してある。大畑遺跡からの出土品は勿論、上の台遺跡、六社山遺跡、木下遺跡、もう一カ所から出土した土器と、典型的な須恵器が展示されていた。

 今回、改めて確認できたのは、縄文土器の展示だ。
 ここに山﨑遺跡の出土品の展示があった。この遺跡は、蝦夷穴古墳に入るところにあるのだが、どういう遺跡かはまだ分からなかったのだ。この遺跡からの出土品は、縄文土器の展示コーナーにある。そして、説明の中から、山﨑遺跡から出土する縄文土器は、文様がはっきりしていて、典型的な縄文土器であることが分かった。以下のような説明だ。

 縄文土器の文様と飾り
 縄文土器の表には、色々な文様がつけられています。
 文様は、縄を押しつけたりころがしたり粘土ひもをはったり、竹の先で突いたり貝殻を押しつけたりひいたりの、いろんな方法でつけられました。
つくられた年代、場所によって少しづつ文様が違い、この違いから土器の年代や場所を知ることができます。
 文様で、一番美しく立体的なのは、今から4000年前頃の土器で、村内の山﨑後ろ遺跡からは、この時代の美しい土器がたくさん見つかっています。
 
 そして、説明板には、そのくっきりと文様が浮かぶ破片が貼り付けてあった。
 展示物は、山﨑遺跡の他、台田遺跡などから発掘された遺物も一緒に展示されていた。

 少し村の概要が見えてきた。
by shingen1948 | 2008-01-25 04:20 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)