地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大畑遺跡跡を訪ねる

 昭和48年の調査に基づき、昭和49年にまとめられた「福島県安達郡大畑遺跡発掘調査既報」~墨書銘土師器出土と土師期竪穴住居跡~という報告書を見つけた。
この調査は、県営圃場整備事業で一部田に転換することになったことに伴って行われたとのことだ。しかし、大部分は畑地として残ることになったという。
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 この遺跡は、「大畑遺跡」というので、大畑のあたりにあるのかと思って探していた。ところが、結果的には、そこよりも西の行屋という地域のところにある遺跡だった。仲の沢集会所という辺りが発掘調査現場のようだ。遺跡の名称に疑問を感じたのだが、地域の方の話で合点がいった。地域では、百日川の北側一帯を大まかに捉えて、通称「大畑」と読んでいるとのことだ。だから、地域の方にとってはここらあたりは総て「大畑」ということで、違和感がないということだ。
 それで、報告書では、その位置を示すのに個人の住宅をもとにしている。公の報告書でも、個人住宅で説明するのは、もう一つは移動がないということも関係しているのだろう。

 調査では、5棟の竪穴住居が発掘されたようだ。そのうちカマド付きが4棟で、炉が1棟という事のようだ。何れも一辺が、3~5㍍の規模であるようだ。
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 この中で報告書が注目しているのは、破片ではあるが土師器が床面上に検出している。土師器の内黒と内外両方とも黒を呈するものがあり、特に、内黒の杯の外面に「真」 、「内」の墨書銘の土器が2点 出土していることを特記していることだ。             
 これは、炉がある住居から出土している。その住居は、4ケの柱穴と張り出した部分に2ケのピット、そして、その近くの柱穴からやや内側に1ケのピットを検出した竪穴住居だ。その重要性を裏付けする資料として、その他の所からも次の出土品があったとしている。
 内黒の杯多数・内外黒高杯とその脚、僅かな須恵器・口縁部形状に特徴的な胴長の甕
 時代は、出土した土師器や須恵器、特に黒色土器の併存等から、8世紀頃の時代に残された遺跡とみている。

 これらのことから、8世紀の平安時代に、この集落に土器に墨書をする人がいたことであり、上記の出土品を使う環境にあったということである。専門的には、何が想像できるのだろうか。直ぐに思いつくのは寺ではないかと思うのだが、浅はかか。
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 このとき、調査区域ではないが、たまたま行なっていた排水溝工事中の断面からも遺跡が、検出されたと記録されている。
 竪穴住居跡が7カ所の存在を確認したとのことだ。この辺りに多くの遺跡が存在する可能性をうかがわせていた。平安時代の密集地の予想で想像してみる。
by shingen1948 | 2008-01-24 04:25 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)