地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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住吉B遺跡の集落

 住吉B遺跡の発掘調査報告をメモしておく。 
 今回目にした住吉B遺跡発掘調査報告書は、平成6年の発掘調査にもとずき、平成9年に報告されたものだ。
 調査で検出された住居跡は、竪穴住居跡20棟で、掘立柱建造物3棟である。そのうち、Ⅰ期土器を伴うもの3棟・Ⅱ期土器を伴うもの4棟・Ⅲ期土器を伴うもの1棟・Ⅳ期土器を伴うもの2棟・Ⅴ期土器を伴うもの1棟・Ⅵ期土器を伴うもの3棟とした。
 石製模造品はⅠⅡ期土器に伴う時期に相当し、5世紀後葉から末葉とした。

 この結果から、報告書は5世紀後葉~6世紀後葉、7世紀後葉~8世紀後葉、9世紀後葉の竪穴住居群を検出し、古墳から平安時代の遺跡であることを確認したとした。
 ただ、6世紀中葉~7世紀中葉、8世紀末~9世紀中葉の遺構遺物が発見されないのは、断絶か本当は連続しているが、調査範囲では確認できなかったことかは定かでないとしている。
 この遺跡の集落の特徴を、Ⅰ期には、この付近一帯の古墳造営にかかわった大規模な集落で、石製模造品の制作も行なっており、祭祀でも重要な役割を担っていたとも考えられるとした。
 Ⅱ・Ⅲ期は、対応する古墳は確認できないが、出土埴輪から谷地古墳西の久遠檀古墳との関連や、時期の点からは二子塚古墳とのかかわりも想像されるとしている。
 古墳時代からある程度の断絶があって、奈良平安時代にもかなりの規模の集落だったと推定している。

 これらのことから、ここがこの地区の中心となる集落の一つと想像できると考えてもよさそうだと思う。この位置は、広い扇状地の中央であり、報告書は、遺構全体の大きさや、遺構や遺跡の重なりから存続時期の長さも想像させる。

 この地域の最も有力な集落の一つである可能性が高いとなれば、この時代の中心となる集落のイメージを浮かべたい。
 「ふくしまの歴史」ダイジェスト板に、古墳時代の政治と文化の中心地の都会についての紹介を手がかりに想像する。当時の典型的な都市として近畿地方の例を紹介している。説明の中で「宮」というのは、文化や政治の中心となった都市のこととのことだ。
 宮やその周辺では、掘立柱建造物が住居でした。掘立柱建物は、地面を堀くぼめる竪穴住居と異なり、現在の家と同じように地上が生活の場です。建物には、高い入口や窓などが備えられ、竪穴住居より住み心地がよかったと考えられています。7世紀には、近畿地方では、竪穴住居が姿を消し、掘立柱建物が一般的な家になっていたようです。また、関東から東北地方の古墳時代に建てられた豪族の館(住居)にも、掘立柱建物の住居が発見されています。
 しかし、農民のムラでは、古墳時代はもとより奈良時代や平安時代にも、竪穴住居が一般的な家でした。

 改めて報告書の掘建柱建物の節を確かめる。試堀で6棟の跡を確認し、調査では、3棟が特定されている。そのうち掘建柱建物の特定年代を確認すると、1棟は、特定できないとして、1棟が平安時代を想像している。そして、もう1棟は土器が小片しか見つからないので断定できないがとしながらも、平安時代に先行する可能性を指摘している。
 このこととムラの説明を見比べると、益々やや都会的なにおいを感じてもよさそうだと思える。勝手に、当時の地方都市ぐらいの可能性を想像して景色を見回してみる。
by shingen1948 | 2008-01-22 05:29 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)