地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安達太良山麓の平安時代の遺跡

「下舘跡発掘調査報告書」には、安達太良山麓の古墳時代の遺跡の紹介に続いて、奈良・平安時代の遺跡が簡単に紹介されている。
 前述の上ノ台遺跡からは古墳時代後半と考えられる住居跡に伴う土器も発見されている。(中略)。奈良・平安時代の遺跡は、村内の平坦部に散在しており、三合目遺跡・星内遺跡の調査が行なわれいてる。いずれも8世紀から9世紀前半までの集落跡で、住居跡と遺物が発見されている。

 このうちの「星内遺跡」については、まほろん福島の文化財~県北の文化財に、その概要についての説明があった。
 それによると、ここからは、奈良・平安時代(1300~800年前)の遺跡が確かめられている。
 説明に、「竪穴住居の中からは、県内でも珍しい金属器を模倣した土師器の蓋と杯が発見されており、金属に近い光沢を出すために両面が燻されて黒くなっています。」とある。
そして、写真で発掘調査で発見された竪穴住居が紹介されている。多数の小穴も見えるので、堀立柱建造跡も想像されそうで、次の時代との連続も感じさせられる。
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 村の人に話を聞くと、1998年ごろ、ここの地主の方が畑だった土地を手放すことになったのだが、ここに遺跡があるのが分かっていたので調査されたものだということだった。現在は、住宅地になっている。

 星内遺跡がある程度整理されているのに、三合目遺跡というのがよく分からなかった。
 まほろん遺跡データベース詳細情報表示では三合目遺跡というのは検索できない。似ている名称に「三合内遺跡」というのがあって、三合内地内にプロットされている。
 ただ、県の報告書関係には、三合目遺跡というものが存在するし、この報告書は「下舘跡発掘調査報告」書を作成された方がかかわっていると考えられるので、その報告書がプロットする住吉遺跡の南側だとみていたが、不思議な気分だった。
 昨日、「三合目遺跡発掘調査報告書」を見つけ、その謎が解けた。その報告書の「おわりに」によると、農地転用申請に伴って現地確認と表面調査によって新たに発見された遺跡だったとのことだ。文化財保護のため、多少の利便性を犠牲にする地道な取り組みの成果だったということのようだった。

 星内遺跡の位置を知る探検、本当はすんなりとその位置が分かったのではない。当初目算をつけたのは、この位置だった。
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 ここは、星内遺跡よりも西に進んだ南側の田んぼで、福島の文化財で見た写真と、プロットされた地図から位置と景色を見て見当をつけた。しかし、村の人に確かめたら違うよといわれてしまった。でも、結果的には間違いだが、これを資料に村の人に話を聞くことで、かえって概要が見えてきたということでもあった。言い訳かな。
by shingen1948 | 2008-01-20 05:23 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)