古墳時代の住居
2008年 01月 18日
報告書を読み比べていくと、ここ大玉村の古墳時代の住居遺跡としては、上ノ台遺跡を代表格に、破橋(間尺)遺跡・上高野遺跡・住吉B遺跡が比定されているようだ。
上高野遺跡からは、畿内で生産されたと思われる東北地方最古級の初期須恵器が出土したことが、上ノ台遺跡発掘調査報告書に紹介されている。また、住吉B・下高野・上高野遺跡などが調査され、5世紀後半に比定される土器や石製模造品が出土していることが前山古墳発掘調査報告書に紹介されている。
これら遺跡の位置を確かめると、確実ではないが下高野遺跡というのと破橋(間尺)遺跡というのは同じ位置の遺跡なのではないかなと思われる。まほろん遺跡データベース詳細情報表示で確認すると、高速道路を挟んで東側に、下高野遺跡がプロットされていて、この遺跡の東側が破橋という地区名であることを示している。
上高野遺跡は、その南側の道路を高速道路を挟んだ西側の位置にあった遺跡のようだ。この遺跡の位置はどの報告書も同じように示されているので、ほぼ確かな位置だろうと思われる。
住吉B遺跡の位置は、報告書によって微妙に違う。下舘跡発掘調査報告書では住吉集落である現コンビニの信号のある交叉点の南側にプロットしているし、上ノ台遺跡発掘調査では、その角を岳温泉方面に通じる道路と玉井方向へ分かれる道路の交叉点から、細道に入って直ぐの位置にプロットしている。まほろん遺跡データベース詳細情報表示をも考慮すると、上ノ台遺跡発掘調査で示す位置なのではないかと推定される。
破橋(間尺)遺跡、上高野遺跡、住吉B遺跡が、想像した位置だとすると、おおよそ東西に岳に通じる道に沿って並んでいる。これらは、上ノ台遺跡と伴に、大玉村大山地区と本宮町の北部地域に広がる扇状地の古墳に伴う集落として位置付けられるのだろうと思われる。