地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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蝦夷穴古墳群

 「上ノ台遺跡発掘調査報告」序章では、地形的な特徴を述べたあと、周辺の遺跡について述べている。縄文遺跡、弥生遺跡、古墳遺跡、平安遺跡の順に述べて行くのだが、以下の終末の古墳が紹介されている部分が気になった。
 終末の古墳としては、上ノ台遺跡に近接する蝦夷穴古墳群が知られている。

 「知られている」と述べられているのだから有名なはずだが、今まで自分の耳に入ってきていなかったということが気になった。恥ずかしながら、自分には蝦夷穴古墳という概念すらなかった。でも、地区の方に聞いてみたら、知らない方もいらっしゃったので少し安心した。地域の歴史に興味のある方の中では有名な話ということらしい。
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 それでも、話をしている中で、いったことがあるという方はいらっしゃった。その方に案内してもらった。杉田川の橋の近くにまで行くと確かに案内板が建っていた。そっとしておくべき景色に思うが、観光10景ということなので、観光の資材としての景色ということなのだろうか。「蝦夷穴」ということなので、古い概念で案内されているようだ。


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 橋の所から山側に沿って行ってみようと思ったが、笹藪なので、反対側の土手を行く。川の外側のカーブのところもその一部だとのことだが、崩れている。


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 もう少し行くと二つの川が合わさる所があり、そこを超して暫く土手沿いに行くと、木々の間から穴が見える。よく見ると、三つの穴が確認できる。

 概念を確かめると、一般的には次のようなことのようだ。
 横穴墓は、以前は「蝦夷穴」と呼ばれ、古代の東北に住んでいた人々の住居跡だと思われていた。しかし、今では調査によって古代の人々のお墓ということがわかってきた。
 ここの話しではなく、日本の蝦夷古墳の中には、戦時中に一部防空壕として利用されたという経緯のものもあるという。築造形態は、階段状になることが多く、内部構造は、玄室の前の羨道が短くなるものが多くなる。副葬品は、鈴や貝の釧(腕輪)・鉄鏃・土師器・須恵器・直刀・玉類がみつかることが多いという。
 製造年代は、一般的には7世紀から8世紀にかけて造れたもので、支配層の集団墓と推定されるものが多いということだ。
by shingen1948 | 2008-01-16 04:25 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)