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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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諸田向山古墳群の場所を探す

 遺跡の発掘調査報告書には、必ず近隣の遺跡の様子の概観が載っている。その中で、その位置を示す地図の部分が、散策を目的にするものにとってはありがたい。

 「前山1号発掘調査」報告書では、近隣の古墳の概要について説明されている。ところが、諸田向古墳群の位置は示されているのだが、この古墳だけ、概要の説明がない。そして、説明では、17の古墳といい、18の古墳の位置が示されている。
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 名称も報告書によって違う。「「前山1号発掘調査」報告書」と「上ノ台遺跡発掘調査」では、「諸田向古墳群」といい、「下館跡発掘調査」報告書では、「諸田古墳群」としている。
 ただ、どの報告書もこの古墳群の位置は同じで、下田の位置にプロットされている。しかし、「大玉村水利事業史」の「大玉村遺跡(古墳)分布図」では、同位置の山沿いにプロットされている。古墳群ということで、そういったことが起こっているのか、よくは分からなかった。
  
 この辺りの地理に不案内なものが、このことを確実にするヒントは、「大山諸田遺跡」にある。この遺跡は、弥生(1600~2000年前)、土師(1000~1600年前)時代の土器と一緒に大量の炭化米が出てきたところということだが、どの報告書にもそのプロットはない。しかし、「大玉村水利事業史」には、この遺跡の説明が詳しい。その説明をもとに読み取ると、このことが少し見えてきたような気分になる。
説明では、以下のようになっている。
 
東北本線本宮駅の北方約1000㍍半、線路の東側に花崗山崩壊土よりなる小さな丘があり、丘の東側に杉森で囲まれた諸田部落がある。正しくは字柿崎である。この丘からは土師器、須恵器が出土している。

 「土師器、須恵器が出土する丘」は、古墳の可能性の高い丘ではないだろうか。以下のように、主語を入れ替えてみる。
 土師器、須恵器が出土する丘は、東北本線とその東方の諸田部落の間にある。この諸田部落は、正確には字柿崎といい、杉林に囲まれている部落だ。この丘の岩質は花崗岩が風化した土でできている。
 各報告書にプロットされた位置関係をみると、諸田部落・各報告書のプロット位置、「大玉村水利事業史」のプロット位置、向山古墳群の位置が連続する。更には、「庚申檀遺跡」ともつながる。もっと言えば、「大山諸田遺跡」は、プロットされていないが、説明から特定される位置は、「庚申檀遺跡」の北東の位置になる。

 これらの状況から、ここら一帯に古墳群が連続して存在しているので、そのプロット位置は古墳群の存在位置であり、広い範囲を意味していると考えればいいのかなということのような気分になる。
by shingen1948 | 2008-01-12 04:48 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)