「庚申檀古墳」・「温石古墳」にかかわって
2008年 01月 08日
図書館で「まほろん通信26号」を見つけて読んでいたら、史跡ツアーの記事があったのだが、その中に、庚申檀古墳で発掘調査中の福島大学菊地芳朗先生から古墳の概要や調査の目的について説明していただいたとあった。このツアー、郡山の大安場古墳と蒲倉古墳群を見学した後、二子塚古墳、庚申檀古墳、天王檀古墳、金山古墳を見学したようだ。
「温石古墳」について、大玉村のホームページに、調査時の写真と思われる写真が掲載されていた。散歩で地域を回るものにとっては、古墳の形状が残っているのを見るのも楽しいが、本来は古墳内部にある遺体を埋葬した石室が、直接見られるというのもそれなりに楽しい。
やや小ぶりの2号墳もあったようだが、ごく標準的なものだろうが、消失は残念。
この古墳では、もう一つ温石という言葉が気になっている。
「温石」というのは、平安時代末頃から江戸時代にかけて、石を温めて布などでくるみ懐中に入れて胸や腹などの暖を取るために用いた道具ということなそうだ。この材料は、本当かどうかは分からないが、結晶片岩に分類される天然石を使ったらしい。
寒さをしのぐだけでなく、患部を温めて血行を促進しながら治療する温熱療法にも使われたという。禅宗の僧が、胃の部分に温石を当てて空腹をしのいだことから、茶の湯では、茶会で客人をもてなす「懐石料理」の由来にもなったとのことだ。
意味があってつけた名なのか気になる。
ここの地区に、結晶片岩があったということなのだろうか。それとも、摂理に沿って割れる石を使った玄室だったということなのだろうか。
この辺りで、石を切り出していたという話は聞く。その目的を聞いていなかったので、確かめてみたいものだ。