人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

庚申檀古墳を訪ねる

 カテゴリーに、「安達太良山麓の古墳群」というくくりを加えた。このくくり方それ自体が、「ふくしまの古墳時代」から学んだものだ。古墳群が本宮市と大玉村にまたがっているだけでなく、近くの時代の遺跡は、杉田など二本松市にまたがっている。調査などは、行政区の責任でやるようなので、その全体像をみるのにはこのくくりがいいと思った。
a0087378_4402329.jpg
 金山古墳と天王壇古墳は、訪ね歩くことが出来たが、庚申檀古墳はよく分らなかったので、知っている人に案内してもらった。入り口の案内板によると、前方部が削りとられて平になっていて、後円部が残っている古墳で、築造した時には、50m以上の規模を有していたと推定されているようだ。
 特徴は、墳丘には葺き石が残存していて、周辺には埴輪片が散見されていることから、埴輪を樹立した古墳だが、先に行ってみた天王檀古墳より古い可能性があるという。
a0087378_4413896.jpg
 行ってみると、木が切られたり、ポイントがあったりしている。葺き石の様子を詳しく調査したのだろうか、それとも築造期の規模や様子を確認したのだろうか。埴輪片を集め、その特徴を確認したのだろうか。
 目的は分らないが、地道な調査が続いているようだ。


a0087378_4445073.jpg
 この後、金山古墳、天王壇古墳にも立ち寄ってみる。これらの古墳群について、「ふくしまの古墳時代」では、どのように説明されているか確かめる。
 筆者は、天王壇古墳は、最も古い段階の人物埴輪が含まれている特長から、原山一号墳の埴輪群に比べて古い段階にあることから、古墳時代中期の中頃の作と推定しているとのことだ。ここの多くは古墳時代中期の古墳群が激増する時代のものとみているようだ。これらの古墳群を「安達太良山麓の古墳群」というくくりで、以下のように天王壇古墳を中心に説明している。
 この天王壇古墳が築かれた丘陵上には、「七つ坦」と呼ばれた古墳群が点在している。現存するのは、天王壇古墳のほか、金山古墳、庚申古墳、二子塚古墳であるが、ほかにも産土古墳などいくつかの古墳があったことが伝えられている。

 天王壇古墳を訪れようとして、最初に訪ねることになった金山古墳については、以下のように説明している。
 
金山古墳は、家型埴輪の出土から、天王壇古墳に近い時期の古墳であることが確実であるとしている。そして、安達太良山麓に分布する天王壇古墳をはじめとする一連の古墳群は、5世紀、古墳時代中期に継続的に築かれたのである。





 庚申檀古墳案内板説明内容
a0087378_4452559.jpg
本宮市指定史跡 庚申檀古墳
規模・後円部径約30m、前方部削平残部約18m、高さ約5m
位置・福島県安達郡本宮市字竹花
 この付近は、多くの古墳があって七ツ坦とも言われていたが、現在は庚申檀・金山・天王檀・二子塚の4つの古墳が残っている。
 この古墳は、竹花丘陵西端に、築造したもので、墳頂に庚申塔がまつられているところからこの名がつけられている。
 古墳は前方部の低い前方後円墳と考えられているが、前方部は削平されて一部のみが現存している築造されたときは、全長50m以上の規模を有していたと考えられる。
 墳丘には葺き石が残存しており周辺には埴輪片が散見され、埴輪を樹立した古墳であったことがわかる。
 築造年代は、古墳の前方部が低平なこと、円筒埴輪が、大きく、焼成に甘さが見られるものが存すること、埴輪片に二次調整の横ハケが見られることなどから、同じ古墳群にある南ノ内の天王檀古墳(5世紀後半頃)より古く、5世紀前半まで遡る可能性がある。

昭和61年7月
本宮市教育委員会
by shingen1948 | 2008-01-05 04:46 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)